8月31日・・・・・・・
昨日、無事、横田町の近辺の方々へ鶏肉135個を段ボール4個に入れて配送しました!
常温保存ができて、11月中旬まで大丈夫って書いてありました。
その中にある「とろとろの豚の軟骨煮」は、桝田の辛麺屋さんで出されているものでした!!
その商品は、135個中10袋くらいしかなくってみなさん全部には送れませんでした・・・・いつか・・また!
あれは、ほんと、美味しいですよ!!!きりんも欲しいくらいでした(笑)
などなど6種類でした!日向屋さん、ありがとうございます!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日の夕方、陸前高田市内の子供たちが無事、元気に到着しましたよ!!!
このイベントの主催は、宮崎活魚センター社長築地加代子さんという方なんですね!
昨年に引き続き、このようにして、陸前高田市の子供たちをご招待してくださっています。
きりんにとりましても、本当に嬉しい嬉しいことでしてね・・・・・・もう・・・めんこくってたまらないっていう感じです。
ホストファミリーと一緒に写真撮影!!
Mさんが手作りで、みやざえもんをかぶってお出迎えしてくださってます!
3人の陸高っこもとっても喜んでいましたよ!
「ようこそ!みやざきへ」は、ホストファミリーのお子さん方の手作りなんです!
みやざえもんが男なのか女なのか・・・すぐに見破っていた3人でした!
ホストファミリーと一緒にさあ!一泊目が始まりました!
昨晩は、夕ご飯をたべて、お風呂に入ったら、花火をする計画だったそうで・・・・きっとたのしかったでしょうね!!!!
きりんもついて行きたかったです!
今日は、サンホテルである「ぎょぎょぎょ祭り」の会場で会えるというので楽しみに行ってきます!
☆台風は、今日近づくので、明日の帰りは心配ないって思われます・・・・・
でも
子供たちのために引き続きお祈りよろしくお願いいたします!
8月30日・・・・・・・・陸前高田市の皆様へ・・・・・・・
本日の午前11時から、3名の陸前高田市の小学生が、花巻空港から、福岡空港へ。
そして、宮崎空港(夕方6:15着)へとやってきます!
帰りは、9月1日(日)午前11時15分ので宮崎発・・・・伊丹空港(大阪)、
そして花巻空港へと帰ってゆきます!
☆台風が心配されるところです・・・・・どうか無事にこの3日間が過ごせますようにとお祈りください。
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昨日、日向まで鶏肉を受け取りに行ってきました!!
日向屋さん!本当にありがとうございます!
日向屋さんの前にある堤防です・・・・
この堤防の目の前に「日向屋さん」はあるんですよ! 重いものを運んでくださる会社の方!感謝しています。
車いっぱいのお肉です! お肉を積んでかえりまーす!壁画さん!また来るねぇぇぇ!
☆横田町近辺へ明日発送しますね!!!!!待っててくださいね!
8月29日・・・・・・・・
きりんは、今日の午後、日向市にある「日向屋」さんまで行って、鶏肉を受け取ってきます!
そして、翌金曜日は、荷造りと発送をします!
陸前高田市内の仮設住宅に送ります。待ってくださいね。届くのは、来週月曜日か火曜日ですね・・・・
次回は、9月末になります!
さて、一昨日の陸前高田災害FMを聞いてたら・・・なんか・・・・・・とっても色っぽいお声が・・・・・・・・
なんと!「山本リンダさん」がお話されてたんですよ・・・・・・・。
優しいんだけど、強烈なインパクト!!!!でも、とても被災地を心配されてて、また、政治にも詳しくって・・・
色んな意味で感激でした!!!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陸前高田市にも民宿が建ちだしたとのこと!嬉しいです!
秋には、大きなホテルも建つみたいですしね・・・・・!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10月、皆様にお会いできるのをとっても楽しみにしています!
8月24日・・・・・・・・・
来週の金曜日から陸前高田市の小学生が宮崎に来てくれるんですよ!
きりん、宮崎空港へお迎えに行く予定です!
夕方の6:15頃福岡からの到着のようです!
お手すきの方・・・・ぜひきりんと一緒にお迎えよろしくお願いいたします!
・・・
その30日ですが・・・・・お昼間、また日向市の日向屋さんへお肉を取りに行きます!
お暇な方、ご一緒しませんか?
今回は、陸前高田市の仮設住宅へ送る予定です。
しかし・・・・・暑いんでしょうね・・・・・・・・早く秋になって欲しいですね・・・・その前に台風・・・・
(なぜか・・・・今・・・・・通信速度が遅くなってまして・・・・・なかなか更新が進みません・・・・どうしてでしょう???)
それではまた!
8月23日・・・・・
10月の陸前高田市支援活動の詳細が徐々に決まってきました。
お茶会とライブコンサートが一緒になってるような感じでやりたいなって思っています。
きちんとした機材は持ち込みませんが、ラジカセがあれば十分かなって思ってて・・・・
どうぞよろしくお願いいたします。
8月20日・・・・・・・・・・
どうしましょう・・・・・・・・・
宮崎県延岡市の延岡学園と
岩手県花巻東高校 が・・・・・もう・・・・・・21日第二試合で戦うんですよね・・・・・・・・
二、三日前から、なんとなく・・・嫌な予感が・・・・・・・・
こんな応援バスが岩手から出るんだそうです・・・・・・・
・・・・・甲子園球場って・・・・どこでしたっけ?兵庫県???ですよね?
絶対、岩手県のほうが遠い・・・・・・・・熱中症にかからないように気をつけてくださいね!
わああああああああああ・・・・・・・・・・・・・・・・困るぅぅぅぅぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・どっちにも勝って欲しいもの・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・応援はどっちもしない・・・・・・・観ない・・・・・・・・・でも隠れてみようかな・・・・・
・・・・・祈る言葉と言えば・・・・・唯一つ・・・・・・・みんな、怪我などしませんように・・・・だけかな・・・・・
8月19日・・・・・・・・
ぎょぎょぎょ~祭りin宮崎のご案内です
8月31日10時から14時半まで。
サンホテルフェニックス二階国際会議場にて
入場料・・・300円!
☆このときに、陸前高田市の小学生が3名、ご招待を受けておられます!
きりんにできることは、さほどありませんが、宮崎空港へはお迎えに行きたいと思っています!
早く逢いたいです!
8月8日・・・・・・・・
金先生の講演を聴いて・・・・
きりんさま
講演会はありがとうございました。
心にしみるお話と音楽でした。
なぜきりんさんがお呼びしたのが金先生なのか
お話を聴きながらわかる気がしました。
○○ちゃんのことともかさなってきて
胸がいっぱいになりました。
・・・・○○ちゃんとは、小学3年生で亡くなった女の子のことです。
偶然、この友人ときりんは、その女の子と関わっていたんでした・・・・そのことは、女の子が亡くなって
9年後にお互いが知りました。
きりんも金先生のお話聞きながら○○ちゃんのこと、思い出していたんでした・・・・・
きりんコンサートで必ずこの女の子の歌は出てきます・・・・分かります??「私のお母さん」っていう歌です!
「お母さんみたいなお母さんになりたいな・・・」って書き残して女の子は息を引き取りました・・・・
金先生の「学校が守る生命(いのち)」という講演は、被災地だから生まれたお話ではなかったんでした・・・・
普遍的な生命のお話だったときりんは受け取っています。
無念にも天国に行った方々の切なる思いにまで触れることのできた講演でした。
8月7日・・・・・・・・
2001年8月31日・・・きりんは、歌人のこじまゆかりさんと「短歌と音楽の世界」というコラボのコンサートをしたことがありました。
ゲートシティー大崎のホールでした。
懐かしくてなりません。
はじひろしという有名な作曲家がきりんの作曲した15曲を四重奏用に楽譜を書いてくださって、その上、歌い手さん(ソプラノとアルト)に
謡ってもらっての大規模なコンサートでした。
田舎者のきりんは、単身ひとりであの大都会でがんばりました・・・・・そんな中、横浜で老健施設をやっている親友が駆けつけてくれて・・・
泣きたいほど嬉しくて・・・・・・・
さて、その時の新聞記事です・・・・・・・ 左から、こじま、きりん、歌い手さんとなります
きりんの後ろでピアノを弾いてらっしゃるのが、はじひろしさんです!
このときの、プロジューサーが、篤姫の時の、たぶち(男性)さん!(ドラマの前半だけ名前が出ていましたよ・・・)
初めての大舞台・・・・厳しい指導を受けました・・・・ここがきりん流スタイルコンサートの大きな意味での出発点なんです。
そして、その二年後、きりんは、陸前高田市へコンサートにいったんです・・・・・
見えにくいのですが、大感激だったのは、谷川賢作の次にきりんの名前があったこと!
ま・・・そういうことはどうでもいいのですが・・・・・・
この秋の陸前高田市訪問の帰り、東京に寄るのですが・・・・・ちっちゃなライブコンサートがしたいなって思っていて・・・・・
そんで、それを親しい友人に話したんですね・・・・さてさて・・・・きりんの夢は 叶うのかしら・・・・・・・・
またまたたくさんの友人に迷惑かけそう・・・・・・・・ごめんね・・・・・・・
9月10月は、落ち着かない日々が続きます・・・・がんばっていきたいと思っています。
でも・・・・・きりんは、眠たいです・・・・・・体力つけなくっちゃ・・・・
8月6日・・・・・・・
金先生の講演会を聞いて・・・・・
講演会を開いていただいてありがとうございました。
今まで津波のことを本気で考えていなかったことが恥ずかしくなりました。
どこかで来ないだろうと思っている自分がいたと思います。
何としてもみんなで生き抜くが大事ですね。
ありがとう。 (きりんの友人から)
先だってはお疲れさまでした。
子供たちのことは勿論、そのことにかかわる親やみんなのささえの
大切さを学びあえたことは励みになる思です。
また、内部といいますか被災地のひとたちのなかから
少しずつの希望と絆が見えはじめたきざしは、
ながい時間がかかっても別な意味、嬉しくもあります。
現実は忘れゆくことのなかにあって、その時の恩と感謝は
目には見えなくても、必ず繋がってゆくことの希望を話された金先生に
お会いできてよかったと思います。 (同じくきりんの友人から)
先日はお疲れ様でした。
とても素晴らしい講演でした。
聞かせて頂き、本当にありがとうございましたm(__)m
○○小のお母さんと一緒に行ったのですが、そこの校長先生もおみえになっていらっしゃってビックリしました。
○○ちゃんはテレビのニュースで金先生の講演の様子を見たと言っていました♪
準備等大変だったでしょう。
何もお手伝いできなくてごめんなさい。
本当にお疲れ様でした (同じくきりんの友人から)
先日は本当にお疲れ様でした。
とっても勉強になりました
帰って我が子を抱きしめたのでした…
金先生にくれぐれもよろしくお伝えくださいませ…
ありがとうございました (同じくきりんの友人から)
今 晩は先日は大変お疲れ様でした。そして本当に素晴らしい講演会を教えて頂きまして有難う御座いました(>人<)
夜の部に行かれた人から今、メールをいただき、涙が溢れました。
素晴らしいメッセージに感動を覚えたこと、お知らせくださった方にお礼(>人<)を伝えてくださいとの事でしたのでメールしました。
金先生は本当は話すのもきついでしょうに、生の体験話をしてくださり、頭が下がりました。
自分達のこととして受け止め、命を守る大切さを、今日聞けなかった方々に伝えたいと思います。
歌声も優しく、心に響きました。本当に有難う御座いました(>人<)
お疲れが癒されますよう祈ります†
(きりんの知人より)
無事に自販機の斜め前の住宅にお帰りになられたのでしょうかね~。お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
感想は胸の中に山ほど有りますが、拙い私の言葉、文章に置き換えるとかすんでしまいそうで、出来ません。
被災地の方々の日常が少しでも改善されますように、心から願っております。 (きりんの友人から)
こちらは、東京の知人より・・・・・金先生は、8月4日は東京で講演をなさったんです・・・(一部掲載)
・・・・私の友人が、「夫と二人で行って来た」とさっき報告を兼ねて家に来てくれました。
金先生の弾き語りがとても素敵だった事又、校長先生になられた事。食事がとてもおいしかったことなどなど・・・・。
彼女の話しぶりから温かい素敵な会だった事が伝わってきました。うれしくなって思わずきりんさんにメールをしてしまいました。・・・・
きりんもぜひとも聴きに行きたかったのですが・・・・・残念!
それではまた・・・・・・・・
8月5日・・・・・・・
昨日、陸前高田市細根沢仮設住宅にお住まいの吉田姉妹さんからお電話がありました!
とっても嬉しかったです!
梅雨が長く続いてちょっと風邪気味のようでしたが・・・「やっと梅雨も晴れた」っておっしゃってました。
きりんが10月にお伺いするということをお伝えしますと、とっても喜んでくださいました。
仮設でのお茶会を中心に計画を立てていきたいと思っています。
だんだん嬉しくなってきます・・・・はやく10月になるといいなぁ・・・
8月4日・・・・・・・
金先生の講演会に際しまして、陸前高田市の「高田活版」さんも集客でお力を貸していただいていたことをさきほど知りました。
心から感謝申し上げます!
高田活版の佐々木松男さんと宮崎の小玉さんとが大変親しくしてらっしゃるそうでお力をお借りできたようです。
前回も書きましたが、小玉さんの奥様は、陸前高田市出身の方なんですね・・・・
たくさんの横のつながりができてきましたこと・・・・本当に嬉しく思います。
8月3日・・・・・・
いただきました感想より・・・・
今日の金賢治さんの講演会 、とても心動かされました。お疲れ様でした。
「絶対いい講演会だから行きましょう!」とお誘いしたクラスのお母さんは、始めから最後まで泣きっぱなし。
音楽って、こんなに人を感動させる力を持っているんですね。
金先生は、医者でも土建屋さんでもなく、大した力にもなれないけど…と仰られていましたが、とんでもないです。
あのピアノの弾き語りには心揺さぶられ、生き方さえも変えてしまう程の大きな力があると思います。
大切な人を失った心は人によって癒される。本当にそうだと思います。
「窓を開けて」は普通の母親が思うであろう、アイロンをかけたり、マフラーをかけてあげたいという平凡だけど、一番してあげたいこと。
何事もなく、平凡でいられることが、とてもありがたく思います。一日一日を大切に生きていきたいと思います。
ありがとうございました。
金先生の講演会、本当に考えさせられるものでした。
心というものは目に見えません。
慮る・察する そのようなことを通して少しみえてくるものだと感じます。
そしてそれがとても大切であることも重ねて感じるものでした。
先生がお話し下さった中のいろいろな事例を通じて学んだことは どちらが正しいとかではなく 何が正しいのかということ。
生きてるというのは温かいこと。
見落としていたもの・知らず知らずのうちに脇に置いていたもの・・
金先生のお話から気付かせを頂いて 改めてその価値に気づいた時間。
おうちに帰ってわが子をしっかりと抱きしめた時のぬくもりをかけがえのないものとして感じたのは
私一人ではありませんでした。
どのメールにもメッセージにもコメントにも記されていた嬉しい言葉でした。
頂いている私の命・子供の命・親の命・みんなの命・・
大切にしていきます。
あのような素晴らしい場を提供してくださいましたきりんさん・NPOの方々に心からの感謝を申し上げます。
誠にありがとう御座いました。本当に感激いたしました。
とても貴重なお話を聞くことができ、
時折目頭が熱くなり、いざという時の様々な備えが
事前に必要だという事を痛感いたしました。
5歳の息子は、先生の歌に涙していました。
何となく分かるのでしょうかね・・・。
今回、金先生の講演会を企画していただきました事に
またご案内してくださいました事に
本当にありがたく感謝いたしております。
ありがとうございました。
☆残りはまた・・・・・
8月2日・・・・・・・・
☆このページから流れてきます「向日葵」は、陸前高田市高田高校仮設住宅にお住まいの金賢治先生が作詞、作曲なされた曲です。
金先生は、きりんが、昨年支援活動をするにあたり、その支援の心構えとかをきちんと教えていただいたり、またこの向日葵の曲を
通して、陸前高田市の仮設の方々や、小、中、高の子どもたちへ、CD「青空へ」4200枚の配布へをするにあたり貴重なアドバイスを
いただいたりと大変お世話になった先生でした。
☆「できましたら・・・支援は、自己完結型をお願いします・・・・・・・」とこれが金先生からのメールでした・・・・
この言葉は、きりん自身、新聞などで読んで分かっていましたが・・・実際は陸前高田市にお住まいのS夫妻にすごくご迷惑をおかけする
形でしかできていないのですね・・・・・
生半可な気持ちで支援活動を始めようとしていたのは、正直事実でした。
この金先生からのお言葉がなければ・・・すでに活動はいろんな意味で終わっていた(できなくなっていた)と思っています。
相手の方がが何を望んでおられるのか・・・今の相手の方には何が必要で何が(うまく言えないのですが・・・)重荷になるのか・・
そんなことを教えてもらったって思っています。
☆もちろん、この今流れております「向日葵」は、震災後8ヶ月しかたっていなかったときの作品とのこと。
米崎中学校仮設住宅の自治会長さんが、金先生に「何か歌ってください」とお願いされたのがきっかけで生まれた曲でした。
皆さんも、そして金先生も非常に大変な中、心の奥から搾り出すようにして(想像ですが)できた作品なんだと思います。
「あの日さえなければ・・・」の言葉に多くの方々が(被災地だけでなく・・)思っていること・・・・・・
そして・・・・・金先生が中学生の気持ちで作られたであろうこの歌詞をきりんは子どもたちにも絶対届けたいと思ったんでした。
そんななか、宮崎の友人たちがこのきりんの思いに賛同してくれまして
「巨大地震から宮崎の子どもたちを守る会」を立ち上げることができました。
最終的には18名のメンバーがこの心ひとつにしながら「金先生をお呼びしましょう!」となったわけです。
素晴らしい友人たちが支えてくださいました・・・感謝申し上げます!!
☆金先生は、「私のようなものの話を本気で聴きたいと思ってくださる方がお一人でもいてくださるのでしたら私はどこへでも参ります」と。
宮崎では、この本気で聞きたいと思ってくださる方々に!と思い・・・・多くの方々に説明や宣伝をしてまいりました。
そんな中、この宮崎にも、陸前高田市出身の方や、被災地からの避難されてる方々や陸前高田市への支援をずっとされてる方々がたくさんおられることも分かりました。嬉しかったです・・・。
また、陸前高田市にお住まいの方より、宮崎の方へこの講演の宣伝をしていただいたりしました。
そうするうちに、メンバーのお口添えで、報道関係の方々も心からの応援をしていただくこともできました。
新聞、テレビ、ラジオ・・・すべて動いて下さいました。
7月31日・・・・・北ロータリークラブでのお話(70名くらい)
宮崎県立芸術劇場での二回にわたる講演会(約380名)
8月1日・・・・・・・(宮崎、全国一暑い日となる・・・)・・・先生の体調を心配しました・・・・
海に近い小学校、中学校の方への講演会(120名)
合計4回の講演をしていただきました。
毎回、会場は感動の渦でした・・・・・
金先生も何度も声を詰まらせながら・・・当時の震災直後のお話をしてくださいました。
「向日葵」「あなたの手」「窓を開けて」の歌もご披露くださいました・・・・・
AidTAKATAさんより取り寄せましたCDも50枚即完売となり・・・予約もきたぐらい・・・きりんにもみなさんの、感激のメールが次々と
きました。
金先生は今日帰られました。
この宮崎の地に大きな感動を残して・・・・・・
先生本当にありがとうございました。
子どもたちの命を守るためには私たち大人たちが生きていないといけないのだと言うことですよね・・・・
母親も父親もですね・・・・・・
先生、また宮崎にお越しください!スタッフ全員が先生のファンになりましたよ!
7月25日宮崎日日新聞より
北ロータリークラブにて
リハーサル中
☆この日の夕方6時半ごろ、UMKテレビで先生のお昼の講演の様子がかなり長く放送されました。
夜の本番前に顔合わせ会をしました。全員写っていないのです・・・すみません。
☆本番中のお写真は、スタッフの方にお願いしていまして・・・後日お載せしますね!
先生方が多かったです!
あおきブロック4校合同教育講演会
☆学校の先生方の力で多くの子どもたちが守られたというお話にみな泣きました・・・・・・
まだまだたくさんお伝えしたいのですが・・今日はこの辺で。
7月30日・・・・・・・・
☆27日に宮崎県立宮崎西高校で母親学級で講演コンサートをさせていただきました。
そのとき、CD「青空へ」の支援金 31450円をいただきました。
これは、制作費に補充するとともに、この秋に行きます陸前高田市訪問の費用にも充てさせていただきます!
ありがとうございました。
7月26日・・・・・
ほんとに一言です・・・・・・・・
31日の講演会は、被災地のことを考える、知る、感じあう時間となるわけですが
ここ宮崎に避難してこられてて、昨年撒いた向日葵の種が今年咲いて・・・・そのお花をステージに飾ってくださるんですよ・・・
お客様のいろんなお話や人生を聞くにつれて・・・・毎日のように胸がいっぱいになってくるんですね・・・・・・
やっぱり・・・・やっぱり・・・・・・被災のことは、防御の方法だけでなく・・・・いやいや・・・・
まだまだ被災地が復興していないっていうことと、その心の回復のこと・・・・しっかり何度も身体と心に焼き付けねばならないと
思ったのでした。
7月24日・・・・・・・
☆昨日は、独り言の方にも書いていますが、サイマルラジオ・・・宮崎サンシャインFMでお話をしてきたんでした。
☆陸前高田災害FMのこともちょっとだけですが、お話してきました。
ここ宮崎にも、サイマルラジオがあって、とっても良かったです。
☆日本中で、それぞれの小さな地域の生のニュースや情報が聞けるのですものね・・・・・すごいなって思います。
大事に大事に持っている新聞です
2011年3月12日 宮崎日日新聞号外
陸前高田がどうして??なんで??なんで??ってずっと泣いていたのでした。
7月23日・・・・・・・・・
昨日の深夜ニュースで・・・・・・陸前高田市の仮設住宅が放送されました・・・・
ここって、米崎中学校仮設住宅の集会所! ですよね?
あのときの皆さんじゃないですかぁぁぁ・・かんげき!
・・・・・・・・・・・・
陸前高田市の今回の選挙期間の様子がニュースになっていました。
きりん、「選挙」これ自体に不満はないんです・・・・ただ・・・・・か細い声は、聞こえないんです・・・社会とはそういう部分が
確かにあるんだと思います。
「いいたいことは、はっきり言わないと相手に通じないよ」って思っていた時代がきりんにも確かにありました。
だって、ここは、競争社会なんですもの・・・・・・・
でもね・・・でもね・・・・・ここは、アメリカじゃないもの!
自己主張できる人は、ほっといてもいいのかもしれない・・・って思ったりする・・・・
だけど
「言いたいことが、言えない・・・自信もない・・・・言葉をつむげない・・・・・・言えるのならこんなに苦しまない・・・・」
って、思ってる人が、いっぱいいっぱいいるんだもの・・・・・・
だから・・・・・・・この方(陸前高田市仮設住宅)のように・・・・・
「届かない・」・・悲しさだけが広がってゆく
被災地の声にならない声って・・・・いつか届くのかしら・・・・・・・・
7月20日・・・・・・・・・・
この秋の陸前高田市への支援活動の日程が決まりました!
10月 27日・・・・・・・・・・陸前高田市へ
28日午前中・・・・横田小学校で音楽の指導!
29日・・・・全日・・・仮設住宅訪問(お肉の配布)
30日・・・・東京へ??
☆まだ帰りの便の予約ができないため、一応予定です。
個別に学校関係にはコンタクトを取っていくつもりです。
その時は、よろしくお願いいたします。
7月18日・・・・・・・。
昨日は、陸前高田市にお住まいの方から、早速、横田小学校訪問に関する情報をお届けくださり感謝しました。
地図で調べました・・・・横田町は、竹駒町を過ぎて、左に行くと下矢作へ、右へ(そのまままっすぐ)行くと横田町ですか?
・・思えば、地図もだんだん現在の様子が表されるようになってきましたよね・・・・・・
きっと近いうち・・・・・・・・・以前の地図が全く使われなくなるんですよね・・・・・なんか・・・それも悲しいけれど・・・・・
それではまた!
7月17日・・・・・・・・
昨日は、陸前高田市立横田小学校にお電話しました。
昨年から、きりんは、横田小学校にお邪魔がしたくてですね・・・・・・・
理由は・・・・さほどないんですが・・・・・・なぜか・・・・・行きたいって思ってて・・・・・
☆横田小学校からのお返事がきましたら、この秋のきりんの陸前高田行きの日が決定します!
8月初めには!!!!ここにお載せしますね!
☆もし、陸前高田市の方で、ここをお読みの方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひ横田小学校とお話し合ってみてください!
きりん!昔は高校の音楽の先生をしてましたから・・・・でも・・・・・・音楽の先生らしくない先生だったんですけどね・・・・
・・・・「坂道の歌」と「向日葵」の歌の指導でしたら・・・・できます!!!へへ・・・たぶんね!
そうそう・・・・「向日葵」は、二部合唱で教えられますよ!!
秋の文化祭とかの前に、きりんはいかが!!!(なんか変ですね・・・笑) (すべてボランティアで参ります!)
☆楽譜の必要な方は、遠慮なくメールを! kirin3_3kirin@yahoo.co.jp まで!
すぐ送ります!
7月12日・・・・・・・・
昨日は、とっても嬉しいニュースがありました!
①陸前高田市の仮設住宅にお住まいの方よりお葉書届きましてね・・・・・・
「やっと熟睡できるようになりました・・・・土地は借りてますが・・・」とおっしゃってました。
「仮設にまだおられる方々には申し訳ない」ともおっしゃってて・・・・・・・。
正直、仮設にお住まいの方はたくさんおられますが・・・・・でもね・・・・・・1がないと、2にはなれないし・・・・・10もこないし・・・・・
いつかいつか・・・・・1000となり・・・・・・いつか3000宅すべて完成ってなりますようにってお祈りしています!
嬉しかったです・・・・秋には見に行きたいなって思いました。
②さっき、何とはなしにテレビを見ていました。すると・・・・高田高校野球部が!!!!!
11対7で勝ったんですね・・・・・・・一緒に泣きました・・・・・あの子達の野球場が、高田高校仮設住宅になったんですね・・・・・・・
満足に練習場所も無いのに・・・・・すごい!!感動する・・・・・・・・・・・・13日が次の試合だと・・・応援してます!
7月10日・・・・・・・・
昨日は、こちら宮崎県都城市にお住まいの小玉美喜子さん(旧姓 管野美喜子さん)とお話できました。
小玉美喜子さんは、陸前高田市出身で、お母様と妹さんを震災で亡くされたとのこと。
ご主人(宮崎の人)が、ロータリーの皆さんと一緒に年間6,7回の陸前高田市訪問をなさってて、
桜の木の植樹、炊き出しなどを精力的に続けてらっしゃることを知りました。
(高田活版の佐々木 松男さんともお知り合いとか)
同じ宮崎県に住みながら、同じ陸前高田市の支援活動をしている小玉さん、築地さん・・・・・・と、近いうちにみんなで
お会いしたいなって思っています。
ディスカントショップツユキ様 さんも同じく、奥様が陸前高田市出身なんですね・・・・・お母様を震災で亡くされて・・・・・・・。
思えば、全国におられる陸前高田市出身の方々の思いも同じなんだと思いながら、小玉さんとお話していたんでした。
6月25日・・・・・・・
ここにある「竹下由紀子ちゃんの独り言」のご両親は、ずっと、被災地へ衣類を送っておられるようなんです。
それで、きりんも少しでもお役に立ちたいと思い、昨日、約8袋くらいの衣料を竹下さんにお渡しできました。
・・・なぜ、陸前高田市へ出さなかったか・・・・個人的にはお伺いしたのですがサイズ違いでだめだったんですね。
でも・・・・考えてゆくうちに・・・・恥ずかしくなって・・・・知らない方にお渡ししたいと思い・・・・・竹下さんにお願いしました。
一度も着たことの無かった洋服、写真だけ撮ったワンピース、
そうそう・・・ずいぶんずいぶん昔のことですが・・・・お見合いのために購入して
そのご縁が破談になったため、それ以降・・・一回も着てないお洋服・・・・とほほ・・・・・・上等のお洋服だったのにな・・
理由・・・聞いてくださいますか??
はぁぁぁ・・・・・思い出すだけでも胸がキュンとなりますが・・・・・・嘘ですよ・・・ふふ・・・
その人は、大変立派なドクターでした・・・しかしです・・・・まもなく両家でお食事会というとき、わたしに、障がい者の兄がいると言う理由で
突然破談されてしまって・・・・えーん(涙)・・・・・・なーんて、書くとなかなかきりんが可愛い人に見えます?(笑)
ふふ・・古き良き思い出です!
あ~あ・・・・これが嘘だといいんだけど・・・本当だから仕方ない・・・
世の中の本音を思いっきり知らされたきりん・・・23歳になったばっかりの頃でした!
そう・・・きりんにも若いころがありました・・・っていうことですね・・・(笑)
☆でもね、本当は、そのことで、一番辛かったのは、きりんじゃなくって、母だったんですよね・・・・って、
今でもきりんはそう思っています。
だから・・・・・きりんは、そのことで両親の前で一度も悲しい顔をしたことはありませんでした。
6月24日・・・・・・・・
こんな声を耳にしました・・・・・・「人前に出るのが(震災以前より)少なくなった(苦手になった)」と。
まだ2年とちょっとしか経ってませんものね・・・・・・
そして、昨日のニュースで・・・・・悲しいニュースを読みました・・・・・
避難生活の疲労などで死亡した「震災関連死」が今も増えています。
死者総数は2500人を超え、「助かったはずの命」との声もあります。
本当に大変な事態ですよね・・・・・・・
何が必要なのかしら・・・・いっつも考えます・・・・・
今のきりんにできること・・・いっぱい祈ろう・・・・・
6月23日・・・・・・・・
陸前高田市の子どもたちへいった日向屋さんのお肉・・・お写真を許可を得て、お載せしますね!
ふふふ・・・そんなに照れないでね・・・・・陸前高田市内の中学生です!
来年も中総体頑張ってね!優勝してね!!!!!!
可愛らしい中学生だこと!部活、頑張ってね!!!!!!
それでは、陸前高田災害FMより・・・・
お迎えするゲストは高田松原を守る会副会長の小山芳弘さんです。高田松原を守る会の活動についてお話いただきます。
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わずかに残った砂浜となぎ倒された松の根元 |
☆いつの日か・・・・この小さな松苗が大きな大きな松の木になりますね・・・・・・・
6月19日・・・・・・・
昨日、いつもの日向屋さんから、7月にある講演会に、お肉300個を寄贈してくださると言う連絡がありました!
陸前高田市への支援金を100円以上してくださった方へ1個ずつ差し上げようと思っています。
あっ・・・これ、宮崎でする講演会ですから・・・・・会場へお越しの方々に差し上げるものです。(郵送とかはしてません)
(☆ここだけのお話ですが、あの肉巻きおにぎりは1個300円、鶏肉の柔か煮は、1個500円する商品なんですよ・・・)
太っ腹な日向屋の社長さん!ほんとにありがたいなあって思っています。これからもよろしくお願いいたします!!
次回は、陸前高田市の皆様へ送ります!情報をお待ちしています!
今回・・・竹駒地区にはちょっと数が足りませんでしたので、9月には必ず送ります!!(ごめんなさい)
6月18日・・・・・・・・
きりんは、毎日、戸羽市長さんのFBを見ているんですね。
とっても優しい父親もしっかりなさっておられて感心しています。(奥様は、津波でお亡くなりになられました)
昨年は、戸羽市長さんのお二人のお子さんも宮崎にお越しでした!
さて、そのFBから昨日のをコピー、貼り付けしますね・・・・・・
昨日のガッチのバスケ。残念ながら負けてしまいました。
対戦相手の学校とはこれまでも勝ったり負けたりというライバルチームでしたが、最後の最後で負けてしまいました。
ガッチもかなっちょも目が悪くて普段眼鏡をかけています。
...2人とも以前はゴーグルをつけてプレイしていたのですが、汗をかくと中がくもって見えないという理由から、
ガッチは眼鏡でプレイをしています。
眼鏡ですから、接触をしたりするとたまにズレたりして大村昆さんの如くプレイしていたりするのですが。
昨日の第3クォーター残り5分。かなっちょが叫びました。『おとやん!ガッチの眼鏡が破壊された!』
接触プレイで吹き飛んだ眼鏡にボールが落下したみたいです。もちろん替えの眼鏡など持っておらずプレイ続行。
たぶん裸眼ではボールがあまり見えないはずですが、先生もコーチも交代させない様子。
第3クォーターが終わり、これで誰かと代わってもらうんだろうと思いきや、今度は会場から
『かなと〜!かなと〜!』とかなっちょを呼ぶコーチの叫び声。『お前の眼鏡、タイガに貸してやれ!』
おいおい、いくら兄弟でも視力は違うぜ。。。と思いつつもガッチくん、かなっちょの眼鏡で登場。
試合には負けましたが、また1つ楽しい思い出ができました。(戸羽太市長さん!すみません・・・勝手に載せました)
中総体・・・宮崎だったら、中体連のことなんでしょうね・・・・・
多感な中学生の様子がよく伝わりますね・・・・・
勝っても負けても・・・中学生の一途な姿には泣かされます・・・・・・思えば、今年の陸前高田市の中学3年生は、
震災時、小学6年生・・・・・・ほとんどの学校の校庭には、仮設住宅があるんですもの・・・・・・大変な2年3ヶ月だったと思うと
どうしようもなく泣けてきます。よく頑張ってきたなあって・・・・練習場所も(ちゃんとしたものは)無くて・・・お友達とのお別れもあったりして・・・
ほんとに・・・よくがんばってるなあ・・・・・・・涙が止まらない・・・
市内の全中学校で、いろんな感動的なお話がきっとたくさんあるんだと思います・・・・・
そんな子どもたちに幸あれといつもいつも祈っています。
6月15日・・・・・・・
夕べは、陸前高田市から小中学生をお呼びするイベントの会議に出席してきました。
ここにいる皆さんが中心となって、さかなクンと陸前高田市のこどもたちを
お迎えしますからね!!!!(ホームスティー関係者はここにはおられないようでした)
8月31日・・・・サンホテル二階国際会議場であるようですよ!!!!
宮崎の皆さんもたくさんお越しくださいね!!!!
お写真、前列中央が宮崎活魚センター社長の築地加代子さんです!
きりんの向かって右側の方は、お茶屋さんなんですが・・・
「お茶かなクン」っていうTシャツ!!この社長さんもメンバーでいますからね・・・
ぜひ、陸前高田市のこどもたち!いっぱい来てくださいね!待ってます!
6月14日・・・・・・・
「坂道の歌」の楽譜が出版されることになったんだそうです。
昨日、千住音楽事務所の方からお聞きしたんです。
嬉しいです!
やっと、きりんのコンサートで、この曲が歌えるようになります!!!
地震の多いこの日本ですもの・・・・・ひとりでも多くの子どもたちにこの曲を覚えてもらって
「津波がきたらすぐ坂道を登ろう!」っていう教訓を歌の中で自然に思えてもらう・・・・これ、きりんも同じ気持ちです。
坂道を登る!
とにかく、坂道を登ろうって・・・・・・
いつかは、南海トラフもこなかったね・・・・・大きな津波なんて・・・もう来ないんじゃないって思えるそのころ・・・・・・・・
この歌の意味が薄らぐころ・・・・・きっと、多くの子どもたちを救うことになる・・・これが、「坂道の歌」なんです・・・・・・・
千住先生と覚先生のご許可がおりましたら、このHPで、皆様にもお聴きいただければと思っています。
今しばらくお待ちくださいね!
「CD青空へ」には、入っています!
6月13日・・・・・・・・明日は、陸前高田市の子どもたちをここ宮崎にお迎えする会の立ち上げ会があるんです。
きりんにもお声がかかりましたので、いってまいります!
宮崎活魚センター社長の築地加代子社長さんのお計らいなんですね。
下記に昨年の様子を貼り付けますね!
さかなクンぎょぎょぎょ~祭り in 宮崎
去年に引き続き、今回も沢山の方に足を運んで頂きました
暑い中ご来場ありがとうございました
今回は宮崎県の水産業の底上げ・普及・地元への還元
という目的だけでなく
イベントを通して東北・宮崎の子供たちの希望の絆をつくる
というコンセプトを掲げ
岩手県陸前高田市の小学生を招待させて頂きました
ホンダロックの選手によるサッカー教室や
マグロ解体ショー&ふるまい
様々なイベントが行われる中一番の盛り上がりとなったのは
さかなクンのステージ!!
(今年も快くイベントを引き受けてくださいました)
大声援の中、さかなクン登場!!!
さかなクンが描く絵と特徴をヒントにしたクイズ形式の講座
子供から大人まで参加していただきました
一人でも多くの方に美味しいお魚をお届けできますように・・・
来年も更に精進してみんなでいろいろな取り組みをしていきたいと思っております。
☆全国にこんなあったかな会社がたくさんあるんですよね・・・・・・・
きりんも、ちょっとだけでもご協力させていただきたいと思っています。
陸高っ子! ぜひ、きりんちに泊まりにおいでね!!!!!待ってるからね!!!
6月12日・・・・・・・最近、台風の影響で、雨が続き、ちょっと寒いです・・・・・・
昨日、「日向屋」さんまで、往復3時間半くらいかけて、お肉を取りに行ってきました。
車の中から写しています・・・子どもたちの描いた壁画!
向こうの先の右側に「日向屋」さんがあります。
H23年11月24日 門川小学校って書いてありますね・・・・・・
子どもたちの絵には、いつ見ても癒しを感じます。
夕方、きりんの村で、荷造りをしているところです。昨日もTさんにお手伝いしに来てもらいました。感謝です!!
6月11日・・・・・・今日は、日向市にある「日向屋」さんまで、陸前高田市へ送るためのお肉を取りに行ってきます!
運送屋さんの都合が合えば、明日の夕方配送できると思っています。
早くて、14日か15日でしょうか・・・・・楽しみにお待ちくださいね。
☆次回は、7月末ごろお願いしようかと思っています。送り先を探していますのでどうぞ情報をお願いいたします。
皆様、お変わりありませんか?
6月6日・・・・・・・
陸前高田市災害FMより・・
広田湾漁協のウニ漁!
今朝は6時30分から開口し、8時まで。
震災後初めて開口した昨年は、2回しか開きませんでしたが、今年から平年通り10回以上開ける予定だそうです。
今日は、キロ5500円で取引されました。昔と比べると、かなり安くなっています…。
写真は、広田町黒崎の三鏡(さんきょう)漁港です。
通称・黒崎漁港ですが、正式には三鏡漁港といいます。
☆今週からちゃんと見てる「あまちゃん」・・・・ウニ!!!大好き!
陸前高田市でも取れるんですね。
約2年以上取引が中断されていたから安くなったのでしょうか??
今年の秋行ったらぜひ!食べたいと思います!
実は、昨年12月・・・・一回だけ食べたんでした!(なほこちゃんと一緒に!)・・・焼きウニのカルボナーラ!絶品でした・・・。
あれれ・・・お店の名前・・・忘れました・・・
☆今年の8月31日・・・昨年同様 陸前高田市の小中学生が宮崎にご招待されるそうです!
きりんの家にホームスティして欲しいな!!!手を上げようっと!
ただ・・・・きりんちには、子どもがいないんですね・・・・・でもきりんが一緒に遊びますから!!!来て欲しいな!
おいでねぇぇ!!!待ってるよぉぉぉ・・・
昨年の様子・・・・ 中央の戸羽市長さんの近くに陸前高田市の子どもたちがいます・・
(宮崎空港にて)
6月2日・・・・・・
6月11日に入手できる日向屋さんからのお肉ですが、今回は、竹駒地区を中心に数箇所送ることとなりました。
次回は、7月末になるかと思っています。
色んな地区の方々に送りたいと思っています。どうぞ、ご遠慮なくきりんまでお申し付けください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5月28日・・・・・・
さっき、ニュース番組を見ていましたら、福島県のことが話題となっていました。
原発のことは・・・本当に真実が私たちに語られているのかどうかが不安でしてね・・・・・
未だ、何一つ、行動に移せずにいます。
きりんは、集団といいますか、まとまりのあるグループを作りながら活動をしたことがありません。
自分の環境が許す範囲での活動が基本でしたから。
大きな集団、小さな集団、個人がやれる何か・・・・きりんは、やはりこう思うんですね・・・・・
どれも大切だって。
今のきりんには、陸前高田市への思いを最後まで貫くこと(ちっちゃな活動ですが)です。
福島県を無視しているのではありません・・・・でも、今のきりんにとっての福島県は、ただただ眺めて祈るだけの場所になっています。
何事にも「時」があるって思ってていいですよね?・・・・・
さて、くどいようですが、6月11日に日向屋さんのお肉が入ります(取りに行きます)。
その日のうちに、福山運送さんに配達をお願いすることとなります。
今回は、どこに送りましょうか・・・・教えてください。
5月26日・・・・・・
・さっき、イオンに行ってきました。
災害展があっていました。
きりんの家は、イオンの近くです。
左側の交差点(一の宮交差点)の1センチくらい上の辺りに住んでます。
左側の真ん中が一の宮交差点で、右側のブルー色がイオン(モール)宮崎です。
☆きりんの家は、海から2キロくらいかと思います。黄色の丸い印が、3階建て以上のビルかマンションになっていて、避難所指定です。
皆さん、真剣に見ていました。
☆きりんの村は、もしものときは、開放します。
・・・・いろいろと考えておかねばなりませんね・・・・水・・・食べ物・・・毛布類・・・・最低限の医療品・・・・いろいろ・・・
きりんの村は、たぶん海から5~6キロあたりでしょうか・・・・お役に立てる場所でありたいです・・・・・
5月24日・・・・・・・
絆プロジェクト三陸スタッフ@小林さんより
陸前高田市に、泥かきに行ってきました
絆プロジェクト三陸スタッフ@小林です。
震災から2年以上経過したこの街でなぜ今も、側溝の泥かきをしているのかご存知でしょうか?
先週、骨盤の一部が見つかりました。... 今まで見つけてあげられなくて、ごめんね。
2年以上も、こんなに狭い、暗い、冷たいところに閉じ込められて。
どんなにか、家族の元へ帰りたかったことだろう。
ここは陸前高田駅の、駅前です。そんな場所なのに、泥かきされずに埋まってる。
まだ誰かが、見つけてくれるのを待ってるかもしれないのに。かさ上げされてしまったら、もう探せないのに。
今日は平日にもかかわらず、約150人のボランティアが集まりました。でも、陸前高田市の側溝はまだまだ埋まってる。
一本松を見に来たついででもいい。通りかかったついででもいい。1時間でも、30分でもいい。
みんなで掘れば、たくさんたくさん掘れば、誰かが家族の元に帰れるかもしれない。
14日現在、陸前高田市の行方不明者は217人。その何倍の人が、家族の帰りを待ち焦がれているだろう。
これが、陸前高田市の現状です。
知ってください。
伝えてください。
あなたが陸前高田に行けなくても、あなたの話を聞いた誰かが、行こうと思ってくれるかもしれない。
どうか、伝えてください。
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5月23日・・・・・・・・・
先日も書きましたが、次回のお肉配布が6月11日となっています。
陸前高田市の方へ送る品物です!
きりんの悩みは、どちらへ送ったらいいのかがわかりづらいことなのですね・・・ぜひ教えてください!
最近、目にする言葉・・・・・「支援に疲れがでてきている」とか・・・・
「だから、支援じゃなくって、応援!応援だといいよね」って書いてあるのを読みました。
きりん自身は、「支援に疲れ」っていうのがほとんどないのですね・・・・反対に、「いつまで支援したいって言うのか?」って
被災地の方々から思われてるんじゃないかな(迷惑がられているんじゃないのかな)って心配すらしているくらいなんですね。
もちろん、きりんのしている活動なんかちっちゃなことですものね・・・・・でもね・・・・毎日、毎日陸前高田市を思わない日はないんですね・・・
マスコミが何を言おうとも、陸前高田市には、何もないんです・・・その2年前のすがたは・・・・。
完璧に無になった場所・・・・・2011年3月12日の宮日新聞第一面に大きく「陸前高田市水没」とあったのをはっきり覚えています。
心臓が止まるかと思うほどのショックを受けたのでした。知り合いの方々のお顔が心の中に次々と現れては、泣きましたもの・・・
死にたいくらいに辛い思いをしている方々がきっとたくさんおられるはずなのに・・・活動を小さくても続けてゆくしかないって思いつつ・・・・
いろんな情報、お待ちしています。
5月22日・・・・・・・
陸前高田市広田小学校と横田小学校から先日のCDのお礼のお便りが届いていました。
①広田小学校・・・・http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1105/31/news024.htmlより、抜粋しました。
きりんに送って下さった昨年のお礼状・・・
広田小学校一年生(現在2年生ですね)
手ぬぐいでつくったSOS
陸前高田市の中心部ほどではないが、この地域も津波によって家々が流されている。また、広田へ至る道は、津波によって浸水した形跡がある。このあたりは震災が起きて初めの3日間孤立した。そのため、広田小学校の向かいにある高田高校広田校舎のグラウンドには、手ぬぐいでつくった「SOS」の文字がある。孤立した状況の中で、地域の住民達が救助用ヘリコプターになんとか見つけてほしい、と願って作ったものだ。
広田小学校は、標高20メートル、海からの距離は約1キロだったためか、津波の被害を免れ広田地区の避難所になっている。当初は300人ほどが集まって来ていたが、4月7日当時で230~240人、20日当時では170人となり、徐々に減ってきている。
しかし近くの広田中学校は震災によって校舎が使えなくなったため、小学校の教室を借りて授業を行っている。つまり、小学生と中学生の通常授業を同じ校舎内で行っている。それに加え、避難住民が身を寄せる。さらに校庭には仮設住宅が造られるといった非常事態が続くのだ。
始業式の前、児童たちが荷物を移動している姿が見られた。避難生活の場になった教室から、新しく用意された別の自分たちの教室へと運んでいたのだ。その横を、避難住民や中学生が通っている。こうしたことは震災を経験しないと見られないだろう。
「県の施設も中学校も水につかってしまった。広田地区で使えるのは広田小学校だけです。一階の普通の教室は、地区ごとに避難生活をしています。二階の空き教室だったところを授業に使います。避難者と共存していく形をとります。子どもたちには、棲み分けのルールを守ることと同時に、自分たちが元気で過ごすことで、よい影響を与えるようにしていきたい。あせらず、状況に応じながらやっていければいい」(松村校長)
②横田小学校・・・・・・HPは、こちらです!
横田小学校校歌
新沼 競 作詞
千葉 了道 作曲
1
雷神山に そびえ立つ
黒岩のように 我ら横田の子ども
強く雄々しく 嵐にも風にも負けず
学ぼうよ 希望に燃えて
2
鳴瀬の川を さかのぼる
若鮎のように 我ら横田の子ども
清く明るく 手をつなぎ励まし合って
進もうよ みんな仲良く
3
志田実の里に 生え育つ
竹の子のように 我ら横田の子ども
直く正しく はちきれる緑の力
伸ばそうよ 未来の空へ
広田小学校を調べていましたら、菅野陽子さんのお子さんが通学されていることを知りました。
きりんの勘違いかもしれませんが、今年の1月のNHKのど自慢大会に出場なさっていた女性ではないかしらって思っています・・・。
菅野陽子さん の紹介
私の生まれ育った町、陸前高田市。 私は先月からこの故郷へ帰ってきています。
高田高校を卒業後、歌手を目指して上京。
ジャズの魅力に取り付かれて12年前にニューヨークへ移住し、結婚、出産、そして離婚。
3.11の震災後、仮設住宅に一人で住む、末期癌患者の父との最後の思い出作りのために、
ニューヨークでの生活を一旦ストップして2人の子供達(キアナ10歳、ブルース8歳)と共に帰国を決断しました。
陸前高田のこれから、日本語がまだ理解できないアメリカ人の子供達の学校生活、
父の闘病生活と私達、家族の絆を皆様にお届けします・・・・・。 ここにありました・・・
5月20日・・・・・・・・・
陸前高田市のほとんどの小学校が、5月25日ごろに運動会があるんですね。
昨年も、そうでしたね。きりんが、宮崎に帰ったのが、5月23日でしたから。
震災後3回目の運動会・・・・・・病院でもそのようですが、小さい子どもたちの{恐怖心}への対応は
非常に細やかにされているのを最近知ったのですが、このような災害から受けた恐怖心への対応も
本当に重要であのときからずっとずっといろんなカウンセラーの先生方や医師たちの手立てが続いているんだろうって
思っています。
きりん自身の幼児のときの恐怖心からの立ち直りですが、(これは本人にはわかりづらいとのこと)
何かの一瞬に、がばっとその恐怖心に蓋をしてしまって、その恐怖心からそれ以上自分が傷を受けないように
してしまうらしいのですね・・・・・
しかし・・・・・いつかは、その蓋をはずさねばなりません。
必ずそういうときはきます。
どうか、そんなとき、それを、ゆっくり、静かに、じっくり見守りながらその蓋を空ける助け手がひとりひとりの子ども達に
与えられますようにと願い祈っています。
つまり
訳もわからぬまま、とめどなく涙が流れ続ける・・・号泣するそんな場所、時に・・・・・それを受け止める人がいますよう祈ります。
5月19日・・・・・・
昨日は、気仙小学校の校長先生から、お便りが届いていました。ありがとうございます!
気仙小学校は、気仙小、長部小が統合し気仙小学校になったとのことです。
震災からの様子がわかるところを見つけましたので、下記にリンクしておきますね。
もうひとつ・・・・・そのままを貼り付けますね。
気仙小学校について2冊の本が気になりました。
1冊目。上部一馬著「奇跡の生還」(コスモ21)には、こうあります。
「防潮堤から2~300メートルくらい離れたところに3階建てコンクリートの気仙小学校がある。
菅野祥一郎校長は、高田町で用事を終えた頃、この大地震に遭遇した。『凄い揺れでしたので、学校に戻らねば、と思って、
気仙川をまたぐ姉歯橋まで戻ったら、交通規制がかかり、渡れなかったのです。
やむなく、もう少し上流にかかる橋を渡って、慌てて学校に戻ったのです。
子供たち90人ほどがランドセルを捨て、校庭に上履き姿で先生と避難していました。
その時、知り合いのおじちゃんが、これはデッカイ津波が来るぞォ!、とアドバイスしてくれたので、
私はすぐ、山に登れ!、と叫んだのです』
校庭には、近隣に住む住民も集まっていて150人から200人くらいにまでふくれ上がっていた。
『小5、6年の児童は猛スピードで、アスレチック用に使っていた校庭脇の高台に一目散に逃げたのです。
これを見た住民のみなさんも後を追って逃げてくれたのです』しかし、防潮堤を超えた津波の速さは、時速50キロメートルはあった。
校庭では逃げ遅れた人や車が呑み込まれていった。阿鼻叫喚、恐ろしい光景が出現した。
それは崖を十数メートル上って、一息ついた瞬間のことだった。
真っ黒い断崖のような波が、アッという間に校舎の3階まで達した。小学校の体育館からは、2度ほど火柱が上がった。
漏電が原因のこの火災は一晩中燃え続けた。」(p51~53)
これが印象に残っていたのですが、
三陸新報社「巨震激流」の「その時 72人の証言」に
その気仙小学校のことが出てきます。
寺本道幸さん(陸前高田市気仙町 53歳)の証言
「只越の高台で津波を目の当たりにしました。
引き波で只越漁港の堤防が倒れ、家屋が流され、屋根の上に人がいるのを目撃しました。
大沢のがれきの山を越え、妻と二人で母親と息子があいる高田を目指しました。
途中の寺にはすでに犠牲者が運ばれていて、息子の学校の体育館は燃えていました。
子どもたちは、裏山の杉林の中に、先生や保護者たちとうずくまって震えていました。
気仙小学校は避難場所です。校庭には近所の人たちも避難していたそうです。
津波に備えて一年生から順に裏山の崖を登り、六年の息子は最後でした。
息子は言います。『自分の後を、おばあちゃんがお尻を押されて登っていたけど、振り返ったら、真っ黒い水だけだった』。
みんなで月山神社に避難しおにぎりを貰いました。・・・」(p125)
☆きりん自身、震災のこのような悲惨な状況を読み直すことは胸が痛みます。
しかし、震災にあっていない宮崎にとっても、これは、大事な教訓があると考えています。
こうして読んでいただけてることを心から、ありがたく思います。
5月18日・・・・・・・
陸前高田市災害FMのブログより・・・・・・・・
ここです・・・・・陸前高田市新市街地の造成イメージの動画(ナレーション入)が公開されました。
陸前高田市復興計画によると、土地区画整理事業が予定されている高田地区と今泉地区では、大規模な切土やかさ上げによる宅地の造成を行い、復興のまちづくりを進めることとしています。
周辺環境や景観も大きく変化することとなりますが、かさ上げ地の盛り土の高さや造成する高台の状況など、平成24年12月現在の高田・今泉地区土地利用計画図(案)を基にCG(コンピュータ・グラフィックス)による動画(9分弱)が公開されましたのでどうぞご覧ください。
☆本当に大規模な整地事業が行われるのですね・・・・・・
日本一住みやすい土地になりますように!
5月16日・・・・・・・・
昨日、小友小学校の校長先生から、CDが届きましたとのご連絡を受けました!
お忙しい中、配っていただくのは、申し訳ないのですが、嬉しいです。ありがとうございます!
ネットより・・・・
小友小学校校歌の歌詞をご紹介しますね。
一 朝日に映える 箱根山
仰ぐひとみも きよらかに
みさきの松の さみどりを
とわにかわらぬ かがみとし
いそしみ励む 学び舎に
希望はてない 胸は鳴る
二 潮の香千里 よせる丘
光の庭に 肩をくむ
つよく正しい 仲よしの
歌声たかく こだまして
花の輪かおる 学び舎に
彩る雲の虹も咲く
三 さやかにそよぐ 若竹の
ますぐに育つ すこやかさ
荒海こえる 海猫の
つばさのように たくましく
珠玉と磨く 学び舎の
道ひとすじに 風は澄む
・・・じっと読んでいると・・・ジーンときます・・・・・箱根山は、きりんが、昨年12月1日にコンサートの合間に
行った小高い山ですね・・・・・・・
希望はてない
光の庭に
荒波こえる・・・・・・・道ひとすじ・・・・・
どんなメロディーなのかは、わかりませんが、校歌って大事なんですよね・・・・・
子どもたちに幸あれと願い祈っています。
5月14日・・・・・・・・・・
陸前高田市へ昨日、ちゃんと送りました!
毎回、福山運送さんがきりんの村にそれらを取りに来られるとほっとします。
今回は、小学一年生へなんですが、震災のとき、この子どもたちは、4歳ですか?
しっかりあの恐怖感は分かっていますね・・・・記憶に残っていますね・・・・・
今回送りましたCD青空への中に入っている「坂道のうた」・・・・・歌い継がれるべきものだと痛感しています。
この歌は、ユーチューブで聴くことができます。
きりんが歌ってはいませんが、本当に感動できる歌なんです・・・・・
ぜひ、お聴きください!
そこに載せてあるコメントを写しますね・・
覚和歌子さんと千住明さんが100年後の子どもたちへ伝えたいうたをつくってくれました。
息を切らしながらのぼった「さかみち」の先には、青空と太陽と未来が両手を広げてくれています。
命のバトンがずっとずっと未来の子どもたちまで伝わっていきますように。
5月13日・・・・・・・・・・・
おはようございます!
やっと、今日、陸前高田市内の全部の小学一年生にCD「青空へ」を送ります。
20枚以上の学校へは、段ボールになりました。
ご面倒をおかけしますが、一年生の皆さんにお渡しください。よろしく御願いいたします。
木曜日頃の到着かと思います。
5月12日・・・・・
昨日は、3.11の月命日でしたね。
きりんもその時間、パソコンの前に座って、陸前高田市災害FMを聞きながら、黙祷をお捧げしました。
あの3.11の日・・・6強の地震を味わったきりんでしたが、時計を見たら、14時43分だったものですから
今でも、43分ってすぐ思ってしまいます。きりんの時計が遅れていたんだと思いますね・・・・。
ラジオでも言ってましたが、情報がないと本当につらいものですね・・・・
携帯があんなに、電池がすぐ無くなるだなんて・・・・・・それに、全く通じないし・・・・・・
コンクリートの上で寝る体験も
500ミリのお水のペットボトルを大事に大事に少しずつ飲んでは空腹を満たしたことも、
11日の深夜、ラテン系のご夫妻が、分からない言葉で、開いた段ボール紙を一枚、きりんにくださって、本当に嬉しかったことも・・・
1時間並んでやっとお手洗いに行けたことも・・・・・
翌日、中国への飛行機が飛べるようになり、横にいた中国人の青年がポテトチップスを「どうぞ・・・ぼく、中国へ帰ります・・」
って日本語でそれを渡してくれたことも・・・・
家族とやっと電話で声が聴けたときのことも・・・・
翌日、夕方、都内にやっとかっと戻れて、ホテルに着いて初めて知った東北の様子・・・・・・これって、何??????
何があってるのか分からなかったことも・・・・・
宮崎に戻っても一ヶ月くらいはまともにテレビが観れずにいたことも・・・・
・・・・・・思えば、12日の朝だったか忘れてしまいましたが、きりんは、東京に住む友人にメールでホテルを探して欲しいと
お願いしたんでした・・すると
すぐ、ホテルを見つけて予約してくれたこと・・・後で聞いたら、その友人も都内で自宅に帰れず大変だったと・・本当にごめん・・・・
でも、それがあったから、今のきりんがあるって思う・・・・たまたま死なずにすんだこの命だもの・・・・
一日一日を真剣に生きていこうと思う。
5月11日・・・・・・
きりんさんへ
4月28日の細根沢仮設住宅の景色です。東北縫製の桜が綺麗です。
何かと慌ただしく過ぎたGWも過ぎ、やっと送ることができました。
いたるところあった陸前高田の桜の景色が懐かしい・・・
高田松原の古川沼の桜、酔仙酒造の桜、高田高校の桜
それぞれの公園の桜 など・・・
「桜ライン3・11」の5年後、10年後の桜を楽しみにしています。
わぁぁ・・・・やっぱり桜は素晴らしいですね・・・・・・・いつも送ってくださり感謝しています!
上のお写真の中で、赤と白の軽自動車が並んでいますね・・・そのまえの建物が、集会場(きりんが昨年12月、
コンサートさせていただいたところ) ですよね?
寒くて、粉雪が降ったんでしたね。そのイメージの細根沢仮設住宅・・・そこが、今、見事な桜・・・・・感動します。
桜って見ていて飽きないですね・・・・・
5月10日・・・・・・・・・・
・・・うまく言えないのですが・・・・
素のままの自分になれる場所とか人とかそうそうありませんよね・・・・・
無防備でいられることの幸せが皆様の上にもありますように・・・・・・
5月8日・・・・・・・・
昨日は、陸前高田市の8つの小学校の校長先生にお電話を入れました。
「昨年差し上げたCD”青空へ”を新一年生に送るため」なんです!
高田小学校
気仙小学校
広田小学校
小友小学校
米崎小学校
矢作小学校
竹駒小学校
横田小学校
あわせて、今年の新一年生は、123名!!ですから 約140枚を準備しました。
この秋、陸前高田市へ行く予定なんですが、この内のどこかの小学校に行って、「坂道の歌」を子供達と一緒に歌えたら
いいなって思っています。
★しかし・・・・・校長先生とお話しするって・・・お電話とはいえ、毎回手に汗を一杯かいてしまうきりんです。
緊張します・・・・・・はぁぁぁ・・・・・
今週末には、出しますので、来週初めには可愛い1年生の手元にいくのではないかと思っています!
5月5日・・・・・・
★陸前高田市の方よりのメールです。
ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。
お陰様でお肉はすべて配り終えました。
個人の方にもきりんさんの事色々お話して差し上げました。
市外から高田に戻って来た小学生達にもあげました。
だいぶ時間かかってしまいすみませんでした。皆さんありがとうと言ってました。
日向屋さんにも何時も何時もご支援ありがとうございますとお伝え下さい。
丁寧に丁寧に配っていただき心から感謝いたします。
あれから、いろんな方面から情報が入り、やはり支援物資が少なくなっているんだそうです・・・・・・・
日向屋さんにもちゃんとお伝えします。そして、
今後とも日向屋さんのご支援の下、頑張って参りますので、よろしくお願いいたします。
全国のみなさーん!!!支援物資が少なくなってるようです!!!
おねがいします!!!!!
これ、FBをやっておられっる方(被災地以外にお住まいの方)・・・・・・是非とも・・・・これを断続的に発信してください!!!
よろしくお願いいたします。
きりんは、見るだけのFBなんです・・・・発信できないのです・・・・ごめんなさい。
★何度も書いていますが、次回は、6月11日過ぎです!
支援物資がなかなか届いてない仮設住宅をぜひ教えてください!!!!!!
5月4日・・・・・・・・・・
陸前高田市災害FMより・・・
突然ですが『缶切り』使えますか?
最近はプルトップ式の缶詰が主流になってきて、缶切りを使うこともなくなってきています。
必要になり使ってみると意外とコツを忘れてしまって「あれ?おかしいな}なんてことも。
もしかすると10代20代の若者達は使ったことすらない方の方が多いかもしれませんね。
缶詰は保存がきくので、いざという時のために保管している方もいると思います。
震災直後の食糧支援でも缶詰をたくさんいただきましたが 全てがプルトップ式ではなかったと思います。
防災グッズの中に、懐中電灯やポケットラジオとともにぜひ、『缶切り』も入れてはどうでしょうか?
そして、お子さん達にも缶切りの使い方や危険性を教えておきましょう~!
★そうでしたね・・・・・缶切りって本当に大切なんですよね・・・・
5年前、きりんの村の開村式があったとき、瓶ビールの差し入れがあったんです。
「栓抜きがない!」 「コンビニに買いに行ってきます」と言ったら、ある方が、ご自分の歯でビール瓶の栓を抜かれたんでした!
びっくりしました・・・・・・歯ってすごく大事なので・・申し訳ないやら・・・・今は、栓抜き3本ありますよ!
・・・緊急時の差し入れを考えるときは、そこまで考えないといけないんですね・・・・
ペットボトルを送るときには、紙コップも添える!
とか
本を送るなら、老眼鏡も添える!
とか
そう!そう!被災直後の支援を受けてで何が困りましたか?とかいうような質問疑問の本ってもう出てるんだと思います。
今日は、そういった本を見つけに本屋さんに行ってみたいと思います。
5月1日・・・・・・・・・・
お肉の日向屋さんより・・・・
きりん様へ
いつもありがとうございます。 HP確認させていただきました。
非常に楽しいHPですね。 またご希望などあれば出来る限りで対応させていただきます。
今後とも宜しくお願いします。 体調にはお気を付けください。
株式会社日向屋 営業部
★ありがとうございます・・・・・ぜひぜひよろしくお願いいたします。きりん
陸前高田市の皆様・・・・何かご希望などありませんか?
4月30日・・・・・・・・・
昨日、陸前高田市の仮設住宅にお住まいの方からお電話がありました。
声を聞くときって、その空気がつながってる感じがして本当にうれしくなります。
一度もお会いしたことのない方なのです。今年の秋にはぜひお会いしたいと思っています!
4月29日・・・・・・・・・
ちょっと怒られそうなことを書くかもしれませんが、考えている途中ということでお許しくださいね。
陸前高田市の戸羽市長さんがおっしゃっている言葉にこういうのがあります。
「ノーマライゼーション」って言葉が必要とされない街づくりをしてゆきましょうっていうものです。
きりんがよく言う、普通って言う言葉が無くなるといいのに・・って書くのを覚えてらっしゃいますか・・・・
これね、ちょっとだけ違うんです・・・・・戸羽さんがおっしゃるのときりんのとはちょっと違うんですよ・・・
きりんは「普通じゃないことが「普通」になった日々」という歌の歌詞を何度も何度も心に刻む時があります。
そう、これは、被災地そのもののことですよね・・・・・
相当な悲しみの・・・それも悲しいまでの抵抗しきれない大きな壁(自然)に押しつぶされてのこの普通がとことん削られた・・・・
そんな普通じゃないことが普通にせざるおえない状況にたいして、戸羽さんのおっしゃる言葉がきりんには、
どうしようもなく違和感があって、悲しかったんでした。
ノーマライゼーションとは、人間の不可避的に思ってしまう(抱いてしまう)エゴが差別を生み、優劣を造る・・・そういう社会を
なくしていきましょう・・・特にしょうがいのある方々、重い病気のあられる方々、そして高齢の方々とともに支えあって生きられる
社会を目指してゆきましょうっていう意味なんだと思っています。
決して、戸羽さんが間違っておられるのではありません。もっともなことなんです。
きりんも高い高い次元でのこのノーマライゼーションは世界中の目指す課題だとも思っていますから。
脳性小児麻痺の兄が差別されることの無い社会をどんなに望んできたことか・・・・
でもね、まずは、この被災は人間のエゴが生んだんじゃない・・・・ってこと!
今まで言われてきているノーマライゼーションっていう言葉が使えれば、どんなにいいだろうかとさえ思うもの・・・・
人間の力では到底避けようもなかったことを徹底して周りも感じ続けていかねばならないのではないかと・・・すごくえらそうなんだけど
やっぱりそう思うんです。
ただ・・・・・・こういう崇高な志が陸前高田市から出てきたことはある面すごいことなんだと思っています。
そして、陸前高田市の中から、いつまでも甘えてばかりではいけない・・っておっしゃる方々が多いのも事実ですしね。
ふと・・・そっかああ・・・・戸羽さんは、今この言葉を残さなければ、将来・・・大変な格差社会になるかもしれないという
思いがあられるということなんでしょうか・・・・・・そうだとすれば・・・・きりんの考えが浅はかでした・・・・
そうですね・・・・・ともに支えあうということは、衣、食、住が足りてからって言うことではないのでしょうね・・・うん・・・・
どんなときにも支えあうことのできる社会かあ・・・・・
なんか・・・・ううんん・・・でも無理は絶対しないでください・・・・ゆっくりゆっくり・・・・しかし復旧は早く!!!
なんて言いますか、食べ物にも困っておられる方々がたくさーんおられるじゃないですか・・・だから
日本中のみんなで支えあえる社会ということで、一般のものにできるなにかがあるのだったら遠慮なく発信していってくださいね。
・・・・・今日はもうよしましょう・・・失礼なことばかり書きましたね・・・・ごめんなさい・・・・・
4月28日・・・・・・・・・・
きりんは、ご存知のように、ほぼ毎日1時間くらいは、陸前高田市災害FMを聴いているんですね。
昨日の阿部さん(パーソナリティー)のブログにこんなのが書いてあったんでした。
いろいろな事情があって陸前高田を離れている方たちの言葉・・・・・
「決して好きで離れたわけではないのだけれど、”高田を捨てて出て行った”と思われているんじゃないかと
後ろめたい気持ちを持っている。
だけど、そうじゃないよ。 俺たちも早く高田に帰りたい…生きてるうちに帰りたいんだよ。」と。
なんとも切ない言葉です・・・・・・この方は、80代のおじいちゃんの言葉だということでした。
本当に早く早く復興が進みますように・・・・・・・・
阿部さんのブログからもうひとつ・・・・・・
先日、視覚障がいの方とお話する機会がありました。その方は震災前、市内で針灸治療院をご夫婦で開いていました。
お二人とも全盲の方です。
お二人によると・・・
『あの日地震の後、指定避難所へ向かおうとしたら近所の方が「あそこは地震で崩れてだめだから行かないほうがいい」と教えてくれ、
近所の方達と高台にあるシルバー人材センターに避難しました。そこにはたくさんの方が避難してきていたように思います。
着の身着のまま避難してきた私に、誰か分からないけどマフラーを掛けてくれた方がいました。
そのうちここも危険だとなり、さらに上へ移動することになりました。
そのあたりから、私たち夫婦をサポートして下さった方がいて、ずっとそばについていてくれました。
だから、民生委員の方だと思っていました。
みんなで高いフェンスを越えて老人介護保健施設・松原苑の駐車場に避難しましたが、
その後、サポートしてくれた方は「家に帰るね」といって別れました。
後日、民生委員の方にお礼を言おうと思ったら、民生委員の方は津波で犠牲になられたとのこと。
あの時サポートしてくれたのは、どこのどなただったのか・・・。
混乱していてお名前も聞かないでしまったけど、ひとことお礼が言いたい。』そう、おっしゃっていました。
そして、
『私たちは「音」だけが頼り。「音」があることで安心が得られます。
だから、災害FMさんの地域の情報はとってもありがたい、助かっています。
ずっと継続していただきたい、頑張って下さいね。』とうれしいお言葉もいただきました。
私たちも必要としてくれる人がいるかぎり、続けていきたいと強く思いました。
★本当にラジオの重要性を感じています。
そして
由起子ちゃんのこと・・・思います。何も聞こえない由起子ちゃん・・・聾・・・・・・
電池のある限りは携帯の画面で情報が得られるかもしれませんが・・・・どうかどうかみんなで支えあって一緒に災害から逃れたい・・・・
被災地の方からのいろんなお話・・聞いておきたいととっても思う・・・・・・・
弱さを抱えた方々のこと・・・・・高齢の方のこと・・・・・・・・みんな分かっていることなのに・・・
きりんが敢えてここに書くことではないかもしれないのに・・・・・ごめんなさい。
4月27日・・・・・・・・・・・・
引き続きお写真が送られてきました。
掲載の許可を得てお載せいたします。
それ、美味しいですよ!ぜひ! 西風道仮設住宅の皆さんです!
きりんもそこにいたいです・・・いつかいつかご一緒したいです!・・下矢作の地区より
サンビレッジ仮設住宅の高橋自治会長さんご夫妻です!
写メールが届いてないだけで、もっと多くの方々にお肉届いています!!!
★次回は、6月中旬になります。何度も書いていますが、ここの仮設にって思われる方、ぜひともきりんまでご一報ください!
4月26日・・・・・・・・・・・・
昨日、陸前高田市の仮設住宅の方よりメールを頂きました。
震災から2年以上、支援物資などだいぶ少なくなった昨今ですが、実はまだまだ大変な方も大勢います。
受け取られた皆様は大変喜んでおられました。
また別の方よりも同じような内容のお電話も入りました。
このようなお返事を頂きますと、本当に嬉しいんですね・・・・これからも続けようって元気がでるんですよ!よかった・・・本当に。
★日向屋さんにお写真などをメールしたんですね。社長さんはじめ皆さんも喜んでくださっていました。
送ったほうも送られたほうも喜び合えるなんて・・・・幸せです。陸前高田市の方にも<(_ _*)> アリガトォございます!
きりんさんへ
いつもお礼のご返事いただきありがとうございます。早速写真拝見しました。社長にも転送いたしました。
お手元に商品が届いて何よりです。皆さんで喜んでいただいていると思うと毎回のことながら嬉しく思います。
ありがとうございます。(日向屋さんより)
4月24日・・・・・・・・・・・
昨日は、サンビレッジ仮設住宅の自治会長さんとお電話でお話しました。
ここにも先日送りました鶏肉が届くことになったからでした。
クリーニング屋さんをやっておられて今お忙しくなさってらっしゃるようでした。良かったです・・・。
今は、お子さん方は陸前高田市にはおられないようですが、いつかいつの日かご家族が揃って生活できるようになると
いいですね・・・。小学生と中学生のようです。親と遠く離れての生活は大変でしょうね・・・さびしいでしょうね・・・・・
お電話を通してだけですけど、直接お話できるのってやはりうれしいです。
みなさーん・・・・・お元気ですかああああ・・・・
4月23日・・・・・・・・・
昨日は、陸前高田市の仮設住宅にお住まいの方々より次々と「お肉届きました・・」というお電話を頂きました。
嬉しかったです。
お写真がこちらに届きましたらここに掲載させていただきますね(お顔はお鼻の辺りまでで十分ですよ!
ご無理のない範囲でよろしくm(._.)mお願いいたします。
次回は、たぶん6月頃になるかと思います。
そのときは、また、ここに送って欲しいというようなところがありましたらぜひおしえてください!!!
4月20日・・・・・・・・
朝10時に出発しましたから、日向市へは11時半すぎの到着となりました。
日向屋さんの後ろです。とっても清潔感溢れる工場ですよ!
ちょうどお昼の休憩中でした・・・皆さん、優しい方でした!
次々ときりんの車へ運んでくださいました・・・ありがたかったです。
タイヤがパンクするんじゃないかしらと思うくらい前の座席から後ろの座席までぎっしり
お肉をくださいました。約500個くらいでした。ありがたくてなりません。
日向屋さんの目の前にある小学生の絵・・・・・・
宮崎県門川町 庵川防波堤壁画
この壁画は門川町内の小学校6年生により制作されたものなんだそうです!
★子供たちの絵って心が和みますね!元気になれますものね!
さて、それから急いで宮崎へ帰りました。
福山運送さんが夕方4時にきりんの村へこれらを取りに来てくださるとの連絡がついたからでした。
きりんは、途中お昼を取るために、コンビニによりました。おにぎり1個だけほおばりながらそのまた運転開始!!!!
飲み物は、いつもなんですが、朝煎れたホットコーヒーを水筒に入れてどこにでも持ち歩いているんです。マイペットです!
ダンボール17箱分の仕分けです・・・・・ひとりでは到底できないと思い、Tさんにヘルプ!!!
15分できりんの村の駐車場へ来ていただきました。本当にありがとうございました。
個数を数えながら、仮設住宅のそれぞれの数に合わせてゆきます。
今回は、下矢作地区の4つの仮設住宅へと
西風道仮設住宅へとそのほか小さなところへと送りました。
来週火曜日頃には到着すると思います。どうぞよろしくお願いいたします。
★いろいろ考えます・・・なぜ届けることを必死でやっているのかしらって・・・・・
「食料が喜ばれるから」・・・・・っていうだけで動いてないような気がしています・・・・・
「忘れてませんよ・・」っていうメッセージを何らかの形で送りたいからっていうのも心にあるような気がしています・・・・
被災地に住んでおられる方のお言葉によりますと、「このところ、なかなか支援物資が来なくなったね」と。
多分、この言葉の後ろにあるのは、「もしかしたら忘れられてるのではないかな」っていうような気持ちも含まれているかもって
きりんは受け取っているんですね・・・・
どうか気楽なお気持ちで受けとっていただければと・・・・・
4月19日・・・・・・・・・
今日は、日向市にある「日向屋」さんに、陸前高田市へ送る美味しい”鶏肉”を取りに行ってきます!
どなたかと一緒に行ければなと思っていましたが、海沿いの国道を好きな音楽聴きながらひとりで運転するのも
時には、いいなって思いまして・・・・・行ってきます!往復3時間!
さて・・・どこの仮設に送るかを検討中です。
ここにっていうところがありましたら是非教えてください。
来週月曜日までには発送したいと考えています。
★毎日、陸前高田市災害FMを聴きながら過ごしています。(特に家事をしているときです)
時々、一人で笑ってしまうのは、いろんな催し情報を聴くたびに、一瞬、それが宮崎であってるかのように聴いてる私がいるからなんです。
それに、毎日聴いてますと、陸前高田のお店屋さんのCMまで覚えちゃって・・・・・・
敢えて書きませんが・・・・・・・高田一中下にある・・・・ふふ・・・・とか
活版印刷の○○さんとか・・・・・お醤油やさんとか・・・・・でも、次回行きますときは、ぜひそこに行ってみたいって思っています!
ラジオでの陸前高田市は、まだまだ進んでいない状況と同時に、昨年よりかは、ちょっとだけ、勢いがありそうな感じもするんですね・・・
二年・・・・長い二年ですね・・・・・
そうそう!陸前高田市の歌が流れますよね!!!素晴らしいなあっていっつも思いながら聴いています!
お昼直前頃流れますよね!この曲をある式典なんかで聴いたら、わんわん泣いてしまいそうですもの・・・。
その後は、お楽しみの演歌のお時間!
今まで、演歌はさほど積極的には聴いてきませんでした。
毎日聴いていますと・・・・いいですねぇぇ・・・・
昨日は、北の宿も流れてました・・・・あなた変わりはないですか・・いやぁぁ・・・・そちらから聴こえてくる演歌には泣かされますねぇ・・・
それから・・
先日、陸前高田市でとても素晴らしいお働きをなさった80代の方がお亡くなりになったというニュースが流れていましたね。
その方のお言葉に「仮設も住めばなかなかいいものですよ・・」とあったとか・・。
きりんには、やっぱり辛い言葉に聞こえてなりません・・・・・きっと、普通のちゃんとした我が家に住んだおられたでしょうに・・・・・
今年前半は、どうしても家族の都合がありましてね・・・・そちらへは行けません。
4月、5月は、きりん自身お仕事もキャンセルしている状況でして・・・・すみません・・・・・・
皆様にお会いしたいです。本当に・・・。
冬に入る前までには行きたい!!!!だって・・・・・雪道・・・怖いですもの・・・・・・
4月16日・・・・・・・・
細根沢仮設住宅の白梅・紅梅に「うぐいす」の鳴き声と
まさに、日本の春を味わっています・・・
紅梅の南遠方に高田松原と気仙川、北遠方に氷上山、
そして、あと10日ほどで咲く桜の並木
この紅梅の位置より「はまらっせい農園」仮設の畑も見え
29戸の仮設の生活も見守り続けています。
震災前の姿と震災後の姿もこの紅梅は見ています・・・
メールを読んでいて・・・・白梅と紅梅。。。梅なんですよね・・・・そして・・後10日で 桜 なんですね・・・・
メールにありましたように、震災前、震災後もこれらの紅梅、白梅、桜・・・・・・は、皆さんのこといつもいつもじっと見ているんでしたね・・・
私もはっとしました。
綺麗なお写真・・・本当にありがとうございました。またいろいろと送ってください。よろしくお願いいたします。
4月15日・・・・・・・・・・・・・・
昨日、陸前高田市から、「希望の一本松」の記念切手が送られてきました。本当にありがとうございました。
★これ・・・・・絶対・・使わないって思ったんでした・・・・・だって・・・・・もう二度と買えないような気がするから・・・・・・・・・
4月10日・・・・・・・・・・・・・・
先日から、陸前高田市に支援金をしてくださっている与論島のほうに、一箱だけですが、ご本を送らせていただきました。
漫画みたいな簡単なものと村上春樹とか・・・・・ちょっとですが、どうぞ!ご笑納くださいね。
また
陸前高田市の方に、文具を少々送りました。
なかなか行き渡りませんが・・・・ごめんなさい。少しずつですが、やり続けたいと思っています。
4月4日・・・・・・・・・・・・・・
陸前高田市災害FMから、お葉書が届きました。
電気が止まると、後は、ラジオしか情報収集はできませんものね・・・・・
ずっと、このラジオをパソコンから(一日に1時間くらい)聞いていますよ!
楽しいんですよ・・・・・このラジオの番組が!
市民の復興への心を優しく支えているんだなあって痛感しています。
時々、市長さんが出演なさる番組もあって・・・・・くったくのないお話もされてて・・・・市政がよく伝わりますね!
戸羽市長さんって言う方がここの市長さんです。
全国版のテレビに出られるたびに、FBの友人数が上がるようです・・・・テレビってすごいなあって思っています。
FBでも、よくご自身のお子さんのことも書かれていて、面白く読んでいます。
今ありしもの見つからぬ春の夜
4月1日・・・・・・・・・・・・・
4月になりましたね・・・・・新学期が始まります!
やっぱりわくわくします。
陸前高田市の災害FMでパーソナリティーをしている中学3年生のみなみちゃんが来週でもって
一旦番組を終わることになったんですよね。
私、とっても寂しくて・・・・・・
天才じゃないかって思っているんですね・・・・みなみちゃんのこと。
お声は、スキージャンプのさらちゃんそっくり!
みなみちゃんのお顔は見た事が無いので・・・・・見たいな!
パソコンでいつでも聞けますし、夜は再放送で何度も聞けるのでぜひ皆様も!
サイマルラジオを検索してください。そして、陸前高田市災害FMを!
ではまた!
3月28日・・・・・・・・
おかげさまをもちまして・・・・・すべてのお塩と黒砂糖が完売となりました!
与論島のS様、Y様・・・心より感謝いたします。
そして、買ってくださった皆様・・ありがとうございました。
関東のほうからも、送料込みで支払うから買いますよとのご連絡まで頂き本当に泣きたくなるほど感謝したんでした。
(この方からは、昨日の午後にご連絡いただいたのですが、すでに完売だったのでした・・・・そのお気持ち・・・ホント嬉しかったです)
★定価で計算しますと22000円分のお塩とお砂糖が与論島から送ってきていました。
★二日間で完売となり・・・・合計・・・25200円の収入となりました。計算が合わないでしょ・・・でもこれ・・合うんです・・・。
★きりんの村の通帳に、確実に(3月27日付けで)入金いたしました。すべて、陸前高田市の支援のために必ず使います!
本当に皆様の優しさに触れられて幸せに思います。きりん!頑張ります!
ではまた・・・・・
3月27日・・・・・・・
先日与論島から無料で送られてきたお塩と黒砂糖・・・・・
昨日は、お塩と黒砂糖を宮崎市内を行商しながら(歩き)回りました(笑)!ふふふ・・・いいえ・・・車です・・
皆様の暖かなご支援のお陰で、お塩があと10袋のみとなりました。(3月26日夜9時現在)
本当にありがとうございます!
1円たりとも残すことなく陸前高田市支援のために使わせていただきます!!!!
3月26日・・・・
昨日は、与論島から、東北支援のために使ってくださいとたくさんの黒砂糖が送られてきました。
本当に感謝いたします。これらも、先日のお塩と同じく皆様方に買っていただいて、支援金として用いさせて頂きます!
1袋・・100円です!(きりんが勝手にお値段を決めました・・・良かったかな?? 買ってくださーい!!
その方が丹精込めて作られたサトウキビのお味を頂きたいと思って、今、しょうが黒砂糖1袋を開けて1個頂きました!
しょうがと柔らかな黒砂糖がとても美味しかったです!
残りの8個は、水曜日のきりんの村でのヨガ教室に持って行きますね!皆さんとでお茶しましょう!
昨晩、7時ごろ、お礼のお電話をしましたら、まだ畑でお仕事中でした。
さすがに、宮崎でももう暗くなっていますが、与論島はまだ明るいのでしょうね・・・・・
縦に長すぎの日本ですが、こうして思いやりが電波のように日本中を交差してるんですよね・・・そんなのがきりんは好きですね・・・・
3月25日・・・・・・・・・・・
一昨日も花は咲くの再放送があってましたね・・・何度見ても見ても感激してしまいます。
今日は、別の方の部分をお載せしますね。(竹下由起子ちゃんの家のテレビを撮影しました)
この続きは、ここをどうぞ!全部で46枚掲載してあります。
★こういう風に出すのが決して良いことだとは思っていません・・・許してください・・・
3月21日・・・・・・・・・・
臼沢みさきちゃん・・・・岩手県大槌町・・4月から中学3年生・・・・すごく可愛いし、とっても
歌も上手ですよね・・・・・
もっといっぱい書きたかったのですが・・・・・・・・・・・・・・・・(まだ深夜なので)寝くなりました・・・・・失礼・・・・・・・・・
3月20日・・・・・・・・・・
先日、お送りしましたお肉のお写真が届きましたのでご報告いたします。
他大隅仮設住宅さんなど3箇所の仮設住宅にもお配りできました。
日向屋さん、本当にありがとうございました。しかし・・・・・陸前高田市は、美人が多いなあ・・・・
久し振りに皆さんのお顔を見ていましたら・・・じーんときました。
★大隅仮設住宅さんの自治会長さんは、語り部の活動をなさっておられるそうです。
FBの方は、「釘子明」さんで検索してみてください。皆さんに見て欲しいとのことでした。
特に、最近アップされているユーチューブ、すごく感動できますよ!!!
3月19日・・・・・・・・・
宮崎は、3月16日が、中学校の卒業式でした。
きっと陸前高田市もそうなんでしょうね・・・・・・
あっ、違いますね・・・・3月13日だったんですね・・・・・
広田中学校の卒業式の様子がユーチューブにありました。
統合されるんですね・・・・・・
小友中学校閉校式は、3月24日とか・・・・・
米崎中学校とで、統合されるんですね・・・・・・
「高田東中学校」って言うんですね・・・・・・新しい学校 素敵な学校なんですね・・・・・ちょっと嬉しくなってきました!
だんだん生徒さんがいなくなっての閉校式なら沢山見てきましたが・・・・・無念です・・・・でも・・・・・
3月17日・・・・・・・・・・・
米崎仮設住宅の合唱団がNHKテレビに出演なさったときの映像を写真で御伝えいたします。
昨日の夜、竹下由起子ちゃんの家に行き、二人でまたまた感激しながら見ました。
では・・・・
とってもとっても感動しました。
歌も素晴らしかったです。
のど自慢大会本番では見れませんでしたが、こうして、たくさん皆さんのお顔が見れて、きりんは、大満足しました!
なんか・・・まだうるうるしてきますが・・・・・・・いつか一緒に歌いたいですね・・・・・
3月15日・・・・・・・・・・
昨夜は、9時過ぎから次々とテレビの感想が届きました。
きりんもすごく感動しました。
届いた感想の中からちょっとだけ・・・・
きりんさん、番組を見ました。歌の力、歌いたいという気持によって、力強く生きている被災地の人々の姿に、心をうたれます。
この種の番組は幾度となく見ていますが、つねに心に沁みてきます。
きりんさん、見ました とても感動しました とても 元気を いただきました
★再放送は無いんですかとのお返事も沢山来ました。また分かりましたらお知らせします。
★陸前高田市の方々へ。
ほぼ毎月(隔月の時もありますが)、日向屋さんからのお肉が 届く予定なんですが、「ここへ」という仮設住宅とか地域などを
教えていただきますと助かります。どうぞきりんまでお知らせください。
3月14日・・・・・・・・・・
花は咲くスペシャル~復興を願う心のうた~ |
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NHK総合
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2013年3月14日(木)20:00~20:45
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花は咲くスペシャル~復興を願う心のうた~
◇東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」の発表から、間もなく1年。
昨年の「紅白歌合戦」では、東北出身の著名人たちの歌声が全国に響き渡り、大きな反響を呼んだ。
いま、この歌の詞とメロディーはさまざまな人の心と響き合い、さらに大きな花を咲かせようとしている。
番組では「花は咲く」の広がりを丹念に取材。
この歌に心を動かされ、復興に力を注ごうとする人たちのいまを、西田敏行の案内で紹介していく。
ウィーン少年合唱団が「花は咲く」を歌ったり、新沼謙治が岩手県陸前高田市の被災者を訪ねたり、
プロスケーターの荒川静香が「花は咲く」の曲に乗せて、かつてのライバル選手と共演したりする様子などを伝える。 |
★きりんが、昨年12月1日に訪れました「米崎中仮設住宅」の方々がなさっておられる「合唱団」が今年1月6日にNHKの
のど自慢大会に予選出場なさったことを覚えておられることと思います。
そこの自治会長さんからご連絡がありまして・・・・今夜、夜8時からの番組で2,3分その合唱団が出演なさるそうなんです!
どうぞ皆さん!見ましょう!!!!!!!!!!!!!
FBをご利用の方・・・・すみませんが、これをご紹介していただけないでしょうか・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨年、陸前高田市の小学生が宮崎にご招待されたのですが、
先週、きりんは、卒業のお印にと思い、文房具をその子供達のいる学校に送ったんですね。(宮崎に来た子供達へ)
・・・校長先生宛に送りました・・・・・・すると、そのお品はなんと、3月11日という・・とってもお忙しい最中に学校に届いたようです。
校長先生が「・・・・・・・ありがとうございます・・・実は、このうち3名はまだ5年生でして・・・」だったんですね・・・・
もう・・・・きりん・・・・またやってしまいましたぁ・・・・・・ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!!でした・・なんでいつもこうなっちゃうんだろうって
悲しいやら・・申し訳ないやら・・・・・でも・・・
・・・・その優しい校長先生、ちゃんと子供達にお渡ししてくださったんです・・・・先生・・・本当にすみませんでした・・・・
<(_ _*)> アリガトォございました・・
年に数回のこんな間違い・・・・・・・いや・・・・月にかも・・・・・へへへ・・・o(*^▽^*)o
今度こそ・・・粗相のないよう注意します!
3月13日・・・・・・・・・
昨日、宮崎市内より届いたメールから・・・・・(許可を得て掲載します)
昨日(11日)はお疲れ様でした。金先生のCDはまだありますか?それと画集もありますか?
もしよろしければわけて欲しいと思っていますが、陸前高田市を優先で構いません。
昨日(11日)は仕事しながら、祈っていました。
・・・・・何らかのお役にたてればと思っています。
テレビを視てて、竹駒地区の話も出ていましたから、きりんさんのHPに良く出てくる食堂がある所だなあと思いました。
★いつもいつも応援していただき心から感謝します。金先生のCDが届きましたら、吉田さんの画集とCDを
お届けに参りますね!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎昨日は、吉田さんにお電話しました!
きりんが一番に申し込んだんだそうですo(*^▽^*)o~♪
ですから、封筒には、吉田さんの文字で住所とか名前が書いてありました!!!感激!
恵美さんも由美さんも、いっつも、きりんに、「無理しないでね、絶対無理しないでね・・」っていってくださるんですよ・・・
沢山の愛情をいただいているのはきりんのほうですから・・・・・・ありがとう・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして・・・・・
小友中学校2年生からのお礼のお葉書が届きました。
閉校するのですね・・・・・・・・・
文中の「・・・大きな傷を負いました・・」に胸が潰されそうです。
「最後まで誇りを持って小友中の歴史に幕を閉じたいと・・・」・・・・やっぱり泣いてしまう・・・・
きっと・・・・・・きっと・・・・・・・新しい中学校は、そんな尊い心がいっぱい集まった場所になるんだと思います。
世界で一番・・あったかな学校になりますよ・・・・ぜったい・・・そうなるって思えるんです・・・・
昨年一年間にいろんな支援をしてくださった方々にこうして手書きでお礼を出しているのでしょうね・・・・・
目一杯の心を頂きましたよ・・・・・・・ありがとう・・・・・またいつかお逢いしましょうね・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本日、日向屋さんに頂いたお肉(160袋)を陸前高田市の仮設住宅宛に出しました。
日向屋さん、喜んでご用意してくださいました。是非ともお受け取りください。
★11日に、取りに行ったんです・・・・日向屋さんの会社の前の堤防には小学生の描いた絵がありました・・・・・
100メール以上は続いていました。。。。
3月12日・・・・・・・・・
ついに、吉田恵美、由美さんたちの画集が届きました!!!
外国でも同時発売、発信されてゆくこのご本!
新しい絆を生んでゆくのだときりんも思います。
恵美さん、由美さん、詩も短歌も絵もどれもすごく素晴らしかったですよ! お疲れ様でしたね・・・・・・・
★あと、4冊手元にあります。陸前高田市の方でもメールください!送りますよ!(お代金はいりませんから)
だって・・・・本当にいいものなんですもの・・・・・・・見て欲しいだけなんです・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★陸前高田市広田少学校1年生から!
ありがとう!!!!!本当にありがとう!!!きりんは、すっごく嬉しかったです!大事にします!
このきりんのお部屋にずっとずっと飾っておきます!
丁寧な字で書いてありました・・・「CDは、きれいなこえでした。」「 ひまわりのきょくがすきです・」などなど・・・・・
わざわざ・・・こんなにしてお返しをしていただき、こちらこそ申し訳なく思います。
これは、きりんのことを沢山の方々が応援してくださったからこそ完成したものです・・・・きりんが感謝の独り占めしちゃって・・
ごめんなさい・・・
広田小学校の生徒さん達ですね・・・
皆さん、生徒さんたちの後ろが、仮設住宅ですよね・・・・運動場がとっても狭くなってますね・・・・・・
でも、この子供達の笑顔にとっても救われる思いです。
子供達をこうしてみていますと・・・・いますぐ逢いに行きたくなります・・・・・・
3月11日・・・・・・・・・・・追加更新
きりんが、歌っています”向日葵”の作詞作曲の金賢治先生の歌が5曲入ったCDが、本日発売になったそうです!
収益金のすべてが学校復興基金になるそうです。絶対、素晴らしいと思います!!!!!!
ここから入ってみてください。
想い・祈り・希望「陸前高田の応援歌」
-- 心の中の風景 金賢治 --
絶賛発売中!
ユーチューブより・・・・・
東日本大震災から間もなく2ヶ月。これを見、聴いてくださる方々の「元気」に少しでも繋がることを祈っています。
この曲は20年程前に作った曲です。当時、DTMがしたくてMacを購入。
MTR等の音楽機材も揃え、初めて作ったのが高田をイメージしたこの曲でした。
今回の大津波で我が家も流され、機材や音楽データも全てなくなってしまったのですが、
学生時代の友人が当時作ったCDを送り返してくれ、この曲との久しぶりの再会となりました。
自分の曲であるのに、曲を聴きながら、多くの知人たちのことや
今はどこにもなくなってしまった街の風景が鮮明に甦り、涙が止まりませんでした。
けれど、その後には、「よし、がんばろう。」というそんな気持ちにもなりました。
震災を受け、多くの人たちが痛い程の悲しみに包まれました。そして、現在もその大きすぎる悲しみと
真正面から向き合っています。
そんな中、「音楽で元気を」ということを伝えることに、正直、躊躇もしましたが、
少しでも前を向き希望を持って歩くことが生かされた私たちに課せられたことではないかと思い、今回アップすることにしました。
今、日々見つめる風景はがれきの山ばかりです。そして、ネットで「陸前高田」を検索しても、同じようにがれきの映像ばかりです。
そんな現実ではありますが、私たちが暮らした街「陸前高田」のいとなみや街並をもう一度心に留め、
それを勇気に変えて歩んでいきたいと思っています。
これを見、聴いてくださる方々の「元気」に少しでも繋がることを祈っています。(金先生のお言葉)
★金額:1枚1800円(税込み)です。収益金のすべてが陸前高田市の復興基金となるようですよ!!
★宮崎にお住まいの方々はきりんにおっしゃってください。まとめて注文しますので!
★金先生を慕う生徒さん達もきっと先生の歌声で心癒されるんだと思います。
素晴らしい歌唱力、もちろん、作曲の技術もそれはそれは大変高度でしてね・・・・
きりんなんか金先生の足元にも及びませんから。
★先生が歌ってらっしゃるあるユーチューブには、「先生が生きててくれて本当に良かった・・・」と書いてありました。
きっと、教え子さんなんでしょうね・・・・
★金先生ご自身もご自宅を流されており、仮設住宅にお住まいのようです。
★ここで流れているきりんが歌う”向日葵”よりも断然素晴らしいんですよ・・・・是非ともどうぞ!!!!
3月11日・・・・・・・・
昨日も被災地のテレビがたくさんあってましたね。
「サンデーモーニング」が好きでいつも見てるんですね・・・・
陸前高田市から気仙沼へと移動するあの風景にたまらなくなる思いがしていました。
お昼ごろ、このようなメールがきました。
久しぶりです。今ケーブルテレビのKKBで陸前高田市の復興を見つめてがあってまして、明日で丸2年になりますが、
私達はテレビで視る事しかありませんから、本当に早く復興を祈るばかりです。
涙が止まらないぐらい衝撃を受けながら、テレビを視ています。私達は本当に幸せだと、感謝しなきゃいけないですね。
気のせいでしょうか・・・・・去年より今年の番組の方が(被災地の風景)悲しいのはきりんだけでしょうか・・・・・・
年々・・・悲しさが強まるんでしょうか・・・・・・・・
どこにも持っていきようのない怒りに震えます・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★モビリアで、本日、「3月11日東日本大震災追悼の催し」があるんだそうですね・・・・
きりんからのメッセージも(壁かなんかに)貼り付けてあるようですので、お時間のある方はご覧ください。(A41枚)
特別なことは書いていませんが・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午後2時45分ごろ・・・・・きりんも黙祷をこちらでお捧げいたします。
3月10日・・・・・・・
東日本大震災追悼式のご案内
■ 日時 3月10日(日)午前10時から正午頃まで
(午前8時30分から受付を開始します。)
■ 場所 陸前高田市立高田小学校体育館及び特設テント
きりんも今日、同じ時間にお祈りをお捧げしたいと思っています。
3月9日・・・・・・・
今日、細根沢仮設住宅にお住まいの吉田恵美・由美さん宅に、
画集「One comment on “Making of “詩と絵で綴る 陸前高田 ~
大震災を乗り越えて ~」
が届けられるんだそうです。
きっと吉田さん達、すごーく喜ばれると思っています。
きりんも6冊注文しまして、今日、陸前高田市から発送してくださるそうです。
つまり、一番目にその画集を見るのは、<吉田さん達に>っていう「一般社団法人はなそう基金 」の奥田様方のご愛なんだと思っています。
たぶんですが、奥田さんご夫妻は東京から陸前高田市に行って渡されるんだと思いますね。そして、一緒に出版会社から届いたばかりの
画集を開かれるんだと思います。(今日の朝の6時半に東京出発なさったようです!)
きりんも早く見たいです!
1冊1600円です!残りの5冊ですが、欲しい方には差し上げたいと思いますので遠慮なくメール(kirin3_3kirin@yahoo.co.jp)をください。
すぐ送ります!!!!先日も出していますが詳しくはこちら
★来週半ばになるのですが、日向屋さんから、またまたお肉が届きます。(今回は、きりんが日向市まで取りに行きますよ!)
それで、今回は、大隅仮設住宅へがすでに決まっています。他・・・・・どこへ送ったらいいのかただいま検討中です。
もし、「ここへ送ったら」って思っておられる方がいらっしゃいましたら是非とも教えてくださいませんか。
仮設名とそこの自治会長さんのお名前とお電話番号が必要となりますが・・・。(来週月曜日までお待ちしています)
それさえ、教えていただけますと、後はきりんが直接連絡を取らせていただきますので!
★だんだん11日が近づいてきますね・・・・・・
◎やはり、きりんもあの3月11日の午後2時45分がくるのはきついですね・・・・・・・・リムジンバスから降りたのが、2時35分でした・・・・・
突然、ごーごーと音がし始めて・・・・・・5分くらいでしょうか・・・・バターンとその成田空港の天井の一部分が落ちてきて・・・・
歩けないほどに揺れる揺れる・・・・・
大パニック・・・・5000名の方々が・・・・リムジンバスって空港ビルの4階に止まるんですね・・・・
ビル管理の女性の方々が、「ここは危ないですから、下に降りてください」と・・・・・5000名の人たちが難民のごとく
長い長いリムジンバス用の道路を下へ下へとずっと歩きました。当然道路は(大きな滑り台のように感じました)
がんがん揺れっ放しでしたから・・・・・
空には、たくさんの飛行機が旋回していて・・・・そのまま降りられずにいつしか各地方へと飛んで行きました。
即、空港閉鎖となりましたからね・・・。
お迎えにこられた1000名近くの方々は帰れずに、しかも、会えるはずの家族は遠く大阪とか名古屋に飛んでいく・・・・・
何箇所もあるおトイレには、常時100人くらいの人が並んでいました。
・・・・電池切れ・・・
きりんは、日本人の多いところがいいと思ってその辺に座っていると・・・・・・・
・・・・・なんと、その周りはすべて中国人か韓国人でした・・・・・・・
孤独で・・・寒くて・・・・怖くて・・・・お腹がすいて・・・・・・連絡が取れなくて・・・・・
大きく揺れるたびに「ガラスから離れてください」と言われる・・・・・・でも、空港1階ってガラスばっかりで・・・・・
壁側は、全部人、人、人でしたから・・・・・
夜中、段ボールの取り合いに警察官がくる・・・・・怖かった・・・・
寝返りのうてるスペースは無かったので、一晩中じーっとしていましたが・・・・
未だ、成田空港へは、絶対行きたくありませんものね・・・・まぁ・・・行くチャンスもなかなか無いということもありますけどね・・
11日・・・・・都内も混乱していたとのこと・・・・
きりんは、やっと納得するんですね・・・・・なぜあの時、成田にいたのかを・・・・・・
あの日、九州にいたら、今のようなきりんはいませんでしたから・・・・
陸前高田市への支援を止めるときって・・きっと、このきりんのトラウマが全部消えたときなんだと・・そんな気がしています・・・・・・
被災地の方々に比べれば何てこと無い経験ですのに・・すみません・・・独り言だと思ってお許しくださいね。
3月8日・・・・・・
ありがとう!嬉しかったです!
CDを配ったのはいいのですが、本名で作ってしまってるので、生徒の皆さんは、私がきりんだとは分かりません・・・あ~あ・・・
o(*^▽^*)o~♪嬉しい嬉しいお便り・・とっても元気がでました。
★そういえば、昨日、陸前高田市災害FMから、きりんの歌う「坂道の歌」(CD青空への中に入ってる歌)が流れてきたんでした!
照れしまったのですが・・・嬉しかったです・・・。ひとりでパソコンの前でうろうろしてしまいました・・・ふふ・・
3月7日・・・・・・・・・
陸前高田市のある学校の校長先生のお話がユーチューブにありました。
懐かしくて見ていました。
震災直後の撮影のようでした。
12月にお会いした校長先生でしたから・・・・・びっくりしました・・・そのお話の内容にです。
やはりその先生もいっぱいの悲しみに合われていました・・・・・・・
「被災地のことを思ってくれてありがとうございます。陸前高田市の復興の志を貫いてやっていきます」との
お返事をいただきました。
背筋がぴんと張るような気持ちになりました。
陸前高田市の災害FMを毎日2,3時間は聞いているんですね・・・すると、そこに親戚が沢山いるかのような感覚になってきてて・・
あの~、一ノ関から陸前高田市までBRTっていうバスは通ったんですかね?
いまひとつ分からなくて・・・・
バスがいっぱいあると、行きやすくなりますものね!!うれしいな!
そうそう・・・・「宮崎の子供たち(小中学生)を災害から救う会」を作ろうかっていうお話が出てるんですよ・・・
このあほなきりんにできるかしら・・・・御返事は来週木曜日なんですが・・・どうしようかな・・・・悩む・・・・だって・・・
きりんは、正真正銘の根性なしですもの!ふふ・・
3月6日・・・・・・・・
夕べは、東日本大震災のユーチューブを沢山見ていました。
陸前高田市の様子も沢山ありました。
見ていると・・・・動悸がしてきて・・・・
うまくいえませんが、
本当に本当に本当に・・・怖かったでしょう・・・・・・
すると今、こんなメールが着ました・・・・・・
「きりんさん、とにかく、東北へのボランティア活動、息長く続けるためにも、あまり一人で背負わないようにしてください。」と。
続けるために・・・・ですね・・・・・・
3月5日・・・・・・・
(2013年2月26日) 読売新聞岩手県版より抜粋します
◇陸前高田・多数犠牲の市民会館
東日本大震災による津波で全壊した陸前高田市の市民会館の解体工事が本格化している。
市の指定避難所だったため、震災直後には市職員ら約80人が避難したが、助かったのは、
最上階にある3階の倉庫に流された11人だけだった。
生き残った市職員2人は「『地震の後に津波が来る』との認識がなかった」などと、当時の状況を語った。
「すぐ高台に避難すべきだった……」。
地震発生当時、市民会館向かいの市役所1階にいた市職員の佐藤綾さん(28)は振り返る。
佐藤さんと、市職員組合書記の宮本幸代さん(50)は当時、他の職員たちと市役所前の公園で待機していた。
避難に動き出したのは約30分後、津波が防波堤を超えたことを伝える防災無線があり、
上司が拡声機で「市民会館に避難してください」と叫んでからだった。
佐藤さんらは会館の3階まで駆け上がり、会議室に入った。「窓の近くにいるな」と大声が聞こえ、
部屋の西側に移動した後、黒い濁流が会館を襲った。
佐藤さんは「がぼっ」という音と共に、窓を突き破って流れ込んだ水にのみ込まれた。
両親や夫、子ども2人の顔が浮かび、「ごめんね」と心の中で謝った。
しばらくして水から浮かび上がると、窓のない薄暗い空間にいた。広さ約20平方メートルの倉庫だった。
天井近くのエアコンにつかまったが、水位が上がってきた。水があごの下に達し、「もうダメだ」と思った瞬間、水位が下がり始めた。
5分ほどで水は引いた。その場にいたのは11人。会議室の窓から2、3歩離れた直後、記憶を失っていたという宮本さんもいた。
ドアを開けて廊下に出ると、目の前は遺体とがれきの山だった。
びしょぬれの服のまま、「大丈夫」と声を掛け合い、夜を過ごした。翌日昼過ぎ、自衛隊のヘリコプターで救助された。
「子どもの頃から、津波の恐ろしさを教えられた記憶はほとんどなかった」と宮本さん。
地震発生時には高台に避難するという意識が、地域で風化していたことをうかがわせた。
◇防災計画の検証 遺族求める
2003~04年度に県が行った津波想定実験では、明治三陸津波、昭和三陸津波、予想されていた宮城県沖地震の最大浸水高を予測。
市民会館は浸水が予測されたが、06年度に市が作った津波ハザードマップでは1次避難所に指定された。
津波では、被害の大きかった高田地区の避難所11か所中10か所が浸水した。
市民会館で市職員の長女杏さん(当時23歳)を亡くした戸羽初枝さん(51)は、「当時の市の防災計画を検証してほしい。
そうでなければ娘たちの犠牲は報われない」と訴えている。
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★ここを陸前高田市の方がお読みになられてましたら・・・どうかお許しくださいね・・・悲しさを思い出させてしまって・・・・
もう二度と同じようなことにならないためにも、このような事実を知ることは大切だなって思うんですね。
ここ宮崎も例外なく・・・いつか・・・・
3月4日・・・・・・・昨日付けの宮崎日日新聞に、陸前高田市の一本松のことが大きく出ていました。
だいたいを書きますと、陸前高田市民の中には、このような(一本松の保存)ことにこんな大きなお金をかけるよりも、
早く市民の生活の方にお金を使って欲しいという意見もあるっていうようなことも書いてあったようにあります。
もう一つは、このこと(一本松)で、有名になり、多くの方がここに来るようになるとも書いてありました。(経済効果があるっていうような意見)
これ、きりんの左手です・・・・・昨年、陸前高田市で買ったブレスレッド・・
陸前高田市で大きくなった松の木(きっと流された瓦礫の中にあった松の木なんだと思っています)から作られたブレスレッドなんですよ!
匂いを嗅ぐと、爽やかな松の香りがするんです。真ん中のちょっと大きめの玉には、3.11って刻んであって・・・・
たった一本の松の木・・・あの時この一本松は、何を見ていたんだろうかって思うんですね・・・・・
仲間たちが次々と倒れて流されてゆく様をじっと見ていたんじゃないかって思ったりして・・・・・
あの一本松って、世界中の人がネットで見ながら・・・どうかあのまま生きてて欲しいって思われ、祈られた松の木でしたよね・・・
きりんが思ってることって綺麗ごとかもしれませんね・・・・・人間霞を食っては生きていけませんものね・・・・・
ちゃんと、日々のパンがなければ・・・・住む場所がなければ・・・・人の愛や優しさがなければ・・・・って・・・。
震災のことが全く忘れ去られた100年後をふと思います・・・・・・・・・
昔の陸前高田市がまったく夢物語の中の風景になってる時代がきます・・・・・・
この一本松からかもし出される何かがあるかもしれないって思うのはまだ早いんでしょうかね・・・・難しい問題だなあって思います。
これは東日本大震災で流木した高田松原の被災松を再利用して制作しているようで、
売上金は経費を除き、陸前高田市と大船渡市の復興と松林再生の基金に充てられるそうです。
陸前高田市の「高田松原」には約2kmにわたって白い砂浜に7万本もの松が生い茂り、美しい海岸線で人々の心を癒していました。
(ネットより)
3月1日・・・・・・・・・・
昨日、ここを読んで泣きました・・とのメールが友人から着ました。
被災地のことは・・・・(何度も書きますが) 遠く離れていると・・・本当に忘れがちになるんです・・・・だから・・・・・
被災地の方々にいろんなことを思い出させていけないよねっていつも思うんです・・・・
でも・・・・・やっぱり・・・書かねばって思うきりんなんです。お許しください。
★陸前高田災害FMをよく聞いているんですが、
みなみちゃんっていう中学3年生の女の子の番組があるんです!!!
このみなみちゃんって、すごい!才能がある女の子でしてね・・・・・・そのラジオ放送を聴いてて面白くてならないんですね。
お相手の大人の人もたじたじ・・・・みなみちゃんの言葉は、自然体なのに、よく考えられているし、奥が深いし、とにかくいいんです!
声質は、あの高梨沙羅選手(スキージャンプ)、そう沙羅ちゃんの声とそっくりなんです。
ぜひぜひ聞いてみてくださいね!
サイマルラジオの中の陸前高田災害FMを!!!パソコンから聴けますからね!
2月27日・・・・・・・・
吉田恵美さん、由美さんの画集発売の詳しいことが分かりました。
詳しくは、ここをどうぞご覧ください!!!!
実は、ある方がこの新聞の切抜きをFAXして送ってくださったんです。
感謝で一杯です。それを載せようとしましたら、ネットで見つけたものですから・・・ごめんなさい・・こっちを使わせていただきました。
(読売新聞)
One comment on “Making of “詩と絵で綴る 陸前高田 ~ 大震災を乗り越えて ~
今、アマゾンで検索をかけましたが、3月11日発売のためか、まだヒットしませんでした。
吉田恵美、由美姉妹の詩と絵が世界に発信されていくのです!!!素晴らしいでしょ!嬉しくてたまらないのです。
11月29日にきりんが見たあの絵の数々が画集に・・・・・うるうるしてきます・・・・・
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絵画展 PEACE ART
未来へ
~子どもたちは絵を描きながら、自らの心を癒す~
東日本支援クレヨンネット
「大地震、津波、子どもたちの絵が語る心の記憶」
■同時開催:港区重度障害児の日中一時支援事業「子どもたちが描く心象風景と存在の証」
東日本支援クレヨンネットでは、3.11の直後から被災した子どもたちのための出張アトリエを開いてきました。
不安を抱えた子どもたちにとって、自由に表現するという行為は心のケアにつながります。
今回の展覧ではその子どもたちの絵一つひとつが語る心の変化を、アートセラピーの視点から解説。
被災2周年を記念して制作した子どもの絵の記録集の販売や被災地で使われたぬり絵の体験コーナーもあります。
お絵描きという無心の行為が、いかに子どもたちの生きる力を支えているか。
その心に触れていただければ幸いです。
なお、会場では港区に住む発達障害自閉症児の絵の展覧会も同時開催いたします。
絵を通して子どもたちが語るもの、そして絵を描きながら自らの心を癒していく子どもたちの強い生命力を感じて頂けることを願っています。
会期: 2013年3月5日(火)~3月11日(月)
会期中無休 午前11:00~午後7:00 入場無料
会場: 伊藤忠青山アートスクエア
http://www.itochu-artsquare.jp/
3月9日(土)13:00~ イベント
特別ゲスト
*ミニコンサート:
森公美子(歌手)
*トークショー: 平山淳子(臨床美術士)、末永蒼生(色彩心理研究家)
↑クリックするとPDFが開きます ↑クリックするとPDFが開きます
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子どもたちの絵の記録集
2013年2月15日出版(予約受付中)
*Amazon にてお求めください
『東日本大震災 ~子どもの絵が語る心の記憶~』
監修:末永蒼生 発行:アート&セラピー色彩心理協会
定価 1,200円(税別)
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主催:港区、東日本支援クレヨンネット、伊藤忠商事株式会社
後援:アート&セラピー色彩心理協会、芸術造形研究所、特定非営利活動法人
日本臨床美術協会
協力:特定非営利活動法人 虹色の風、青山商店会連合会
★3月11日・・・たくさんの催しが全国で行われるのでしょうね・・・もちろん、被災地でも・・・・・・
しかし・・・・・その11日・・・・その遺族の方々が静かに祈れる日でありますようにとも願いながら・・・・・・
2月26日・・・・・・・・
陸前高田市の仮設住宅にお住まいのM様より
★ここは、人情が厚く、美味しい食べ物がいっぱいの所ですよ・・と書き添えてありました。
岩手県和賀郡西和賀町のお写真がたくさん送ってきましたのでご披露しますね。ありがとうございます!
これは、雪あかりin西和賀の模様でしょうか?
湯本温泉
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明治の俳聖正岡子規が投宿したことでも知られる温泉。飲食店なども多く山菜、キノコ、川魚と豊富な山の幸がお楽しみいただけます。
湯本温泉の宿泊施設・連絡先
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ホテル対滝閣
0197-84-2221
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旅館山田屋
0197-84-2721
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一休館
0197-84-2131
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大正館
0197-84-2624
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旅館一城
0197-82-3791
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★すごく綺麗な雪!素敵なお写真をありがとうございます。
でも、雪かきとか・・・本当は生活に色々と支障があるんだとは思うのですね・・・・
ここ宮崎では考えられないような風景なんで・・・・感動ばっかりしています・・・・・・
2月25日・・・・・・・・
昨日の読売新聞に、吉田恵美、由美さんの記事が出たんだそうです。
ぜひ!ご覧ください。(たぶん岩手県内の読売新聞には載っているんだと思います)
いつもお二人の笑顔をじっと眺めるんですね・・・・ほかっとするんです・・・・
吉田姉妹の絵画集の発売が分かりましたら、ぜひぜひきりんまで教えてください!!!!!
★陸前高田市災害FMを聴いていましたら・・・・こんな怖いことを言っていました・・・・・
2年前と同じ規模の東日本大震災はまた起こる可能性があると。
そして
身体に感じる地震が連日続いていますと・・・・・・・・慣れっこにならずに油断しないでくださいと・・・・
ショック受けながら聴きました。地震が連日あるっていうこと・・・知りませんでした・・・・祈っています・・・
★先週の土曜日に高田第一中学校に、盛岡市の厨川中学校の北梅太鼓の交流会があったみたいですね。
FMラジオの説明なのできちんときりんが把握できてない部分もあるんですが・・・
氷上太鼓 の方が「せいらん」っていう曲を作って、厨川中学校の北梅太鼓の方にプレゼントしたとのこと・・・でしたよね?(ちょっと不安)
厨川中学校の先生のお言葉によりますと、厨川中学校の生徒さんたちは、陸前高田市に入るにつれてだんだんと言葉数が少なくなり
じっとその被災地の様子を見ていたとのことでした。
この数日、このラジオを聴いていて、ほとんどのボランティアの方々が「陸前高田市は復興してない」っておっしゃってました。
きりんが感じたこととあまり違ってないなあって思ったんでした。
そうそう、先日、きりんがお邪魔しました宮崎中学校にも「響座」で大活躍している生徒さんがいます!小さな頃から知っていて
その響座が震災直後すぐ、太鼓をいっぱい持ってそれを陸前高田市に寄贈なさったことを聞いていたんでした。
太鼓もいいですよね・・・・・・きりんも大好きです。
2月24日・・・・・・・
細根沢仮設住宅にお住まいの吉田恵美さんからお電話がありました。
ここから、3月に恵美さん、由美さんの絵画集が出版されるようなんですね・・・・
かなりよく見たのですが・・・・・どんな本でどこから出版されるのかがわかりませんでした。
すみません・・・・ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。(アマゾンも調べましたが・・・見つけられませんでした)
さて、
宮崎県日向市にある 日向屋さんから、こんなメールが届きました。(一部掲載します)
きりん様
ご丁寧なお礼のメール頂戴しありがとうございます。
現地の方々の心境を思うと何とも言えない気持ちになります。
仮説住宅での暮らしは大変な生活だとテレビの報道などで拝見しております。
しかし報道で伝わるものはほんの一部分だということも聞いております。
そんな状況の中、私共の商品が仮説住宅で暮らす方たちにわずかでも喜んでいただけていると思うと大変嬉しく思います。
また今後もご要望がありましたらぜひご協力させていただきます。
宜しくお願いいたします。まずは取り急ぎお礼申し上げます。
株式会社日向屋
★一回に送れる数は、全体で200から300個程度ですから、たいしたことはできていないのですが、こつこつと続けていけたらいいなと
願っております。そのたびに、自治会長さんたちのお手数をおかけしますがどうぞ宜しくお願いいたします。
そして、日向屋さん、本当にこれからも宜しくお願いいたします。
2月23日・・・・・・・昨夜、ゆっくりしながら、陸前高田市災害FMを聴いていました。
言葉がないくらいです・・・・・
あのパーソナリティーで、綺麗な安部裕美さんって、ご主人がおられることが判明!
いつか、ご主人のお店が陸前高田市で営業再開できますように!
高田町にある美容室さん・・・・もともと、おおかわにあった美容室さんなんだそうです。
(昨年末、きりんがちょっとお邪魔しました高田小学校近くなんだそうです)
この放送で感動したのは・・・・この美容室に行けば、誰かそれの情報が得られるのではないかと思い、
立ち寄られる方々が多いとのこと・・
そして、この美容室の先生は、仮設住宅にお住まいの方々の送迎もなさっておられるということでした。
町の中にバスがあちこちと運行しているわけではないですものね・・・・
お醤油を作ったいた方が、今、他所で作ってて、最近この陸前高田市で販売したところ「この味が欲しかった」と
喜ばれたとのこと。
電気屋さんのことも・・・・・
それから、きりんが二回お邪魔しました「モビリア仮設住宅」の自治会長さんの出演があったことです。
最近、「陸前高田市仮設住宅連絡協議会」が設立されたとのこと!!!わぁ・・・これは本当に良かったですね!!
先週書きましたが、どこの仮設がどのような感じなのかということが分かりにくかったためなんです。
小さなところにも、しっかりしたところにも平等にいろんな支援がいきわたるといいですものね!!!
★東京からのボランティアさん・・・・側溝の泥だしのボランティアできたとのこと・・・・
★埼玉からのボランティアさん・・・・同じく側溝の泥だし
この泥だしをする中で、いろんなものが出てきて、市民の皆さんにそれが渡されたりしているそうです・・・
ボランティアの皆さん、陸前高田市訪問が、20回とか4回とかおっしゃってました。
聴いてるうちに、だんだん胸が一杯になりました。
できるだけこのラジオを聴いていきたいと思ったんでした!
2月22日・・・・・・・
宮崎文化本舗さんの山内さん(先週から気仙沼滞在中)が、陸前高田市災害FMで映画祭の宣伝収録をなさったそうです。
サイマルラジオで聞ける方は、ぜひ、陸前高田災害FMをどうぞお聴きくださいね。
そして
映画祭!!!良かったらどうぞ!
★陸前高田災害FMの安部裕美パーソナリティーさん!本当にご配慮ありがとうございました。
お体には十分お気をつけてますますご活躍くださいね!!!
2月21日・・・・・・
昨日、初めて、サイマルラジオっていうところを開けてみました!
なんと、全国の災害FMが聴けるんですね・・・・・感激!!!
まず、ここを!
ここを開けましたら、東北というところまで、下がる。
そこの7段目に、陸前高田災害FMがでてますから、「その放送を聴く」を押す!(スマホでも聴けるようです!)
下記に書きました、宮崎文化本舗のスタッフ、山内さんがたぶん、明日か明後日の夕方生出演されるかもなんです。
二年間ずっと気仙沼を応援してこられた宮崎文化本舗さん!宮崎でも常に素晴らしい活動をなさっているNPOさんなんですね。
たった15分しか離れていない陸前高田市と気仙沼・・・でも、県が違うため・・・なかなかかなって思うところもあって・・・。
昨日、山内さんにお電話しました。すぐそばに陸前高田市があるんだと思うと・・・嬉しくてなりませんでした。
5枚組のチケットを5人で買われると、ひとり、600円ですよ!
よかったら、ぜひどうぞ!!!!!
その映画祭が成功しますように・・・・祈っています。
★昨日の陸前高田市災害FMを聴いていましたら、高田高校の合唱部の方々が、岩手県議会で5曲歌われたとのこと!
素晴らしい合唱に県議会議員の皆さん、感動されて、アンコールまであったそうです。あの、「坂道の歌」も合唱されたとのこと。
その合唱が聴きたかったです・・・・・いつか・・・・聴きたい・・・・・
2月20日二回目
陸前高田市、および、気仙沼の方々へのお誘いです。
ここ
きりんの村で、CD「青空へ」のお手伝いをいつもしてくださってる伊福さんよりお知らせです。
宮崎にある、NPO宮崎文化本舗というところが気仙沼の支援をこの二年近くしておられるのですが、
今回は、映画祭をするんだそうです。
伊福さんからのお知らせを貼り付けますね。
きりんさんへ
こんばんは、伊福です。
この間は少しの時間しかご協力できず、すみませんでした<m(__)m>・・・これって、高田高校へ送るCD「青空へ」の製作のことです。
ご案内が大変遅くなってしまいましたが、
気仙沼で開催する映画祭、あっという間に今週末となりました(^^;
『明日はえいがまつり』
として、2月23日、24日の二日間、
気仙沼市民会館にて開催されます♪
=============
日程表
前売チケット現在発売中で、
1作品 800円
2枚組 1500円
5枚組 3000円・・・・・・これを5人でひとつ買って、お一人600円で見られるそうですよ!!!とってもお得ですね!
1枚につき1作品をご覧いただけます。
なお、当日券は
お子様が 1000円
一般が 1300円となります。
詳しくは、こちらのホームページをご覧下さい。
土曜日から担当スタッフが気仙沼に行っており、
明日から宮崎キネマ館の劇場マネージャー&宮崎映画祭の実行委員長も
現地に向うことになっています。
なかなか告知が行き届いていない様子ですので、
きりんさんがお知り合いの東北関係の皆様にご案内して頂けないでしょうか。
宜しくお願い申し上げます。
==============
宮崎キネマ館 伊福
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2月20日・・・・・
今日の”独り言”の石川先生が昨年のお正月に書かれた物を貼り付けますね。
初夢 |
石川智信
|
その時確かに妻の右手は動いていた。私も妻もその手を見つめながら声をあげて泣いた。
「すごい、奇跡が起きた。ばんざーい。」と手を振り上げた瞬間、目が覚めた。
1月2日、私の初夢であった。傍らを見やると妻がベットから落ちそうになりながら寝息をたてていた。
確かに右手は不自由だが、寝返りは自在に打てるようになっている。退院して間もない頃、
じっと仰向けにしかなれずに褥創を作りかけたため、夜中に何度も体位を変えていたことが今となっては懐かしい。
元気な頃と同様に寝相の悪さを取り戻しており、去年は何度かベットと壁の隙間におちこんでもがいていた。
苦笑しながら助け起こす私を見上げながら本人も「ひ・み・つよ。絶対に、ひ・み・つよ」と言って笑い転げていた。
今年の正月、大切な家族を突然失った被災者の人々は、どんな初夢をみたであろうか。
たとえ夢の中でもいい、もう一度亡くなった家族に会いたいと願う人々の思いは叶っただろうか。
両親と兄弟を亡くし、祖父母の下で健気に遊ぶ子供の姿がいじらしい。
夫を亡くし、仮設住宅の4畳半の部屋で1人正月を迎える老女が、わずかなおせち料理を位牌の前に置いて語る姿が
辛く悲しい。「ごめんね、おじいさん。今年はこれだけしか用意できなくて。何とか生きていくから見守ってくださいね。」
テレビは年末年始、多くの被災地の様子を伝えていた。
もうすぐ1年という時が経過してもなお、人々の心は苦しいままであった。
なぜあなたが死んで私が生きているのかという、答えの出ない自問自答を繰り返しているであろう人々の気持ちを
思う時、私自身はどうしても妻が倒れた直後の自分の気持ちと重ね合わせてしまう。
普段はいることが当たり前であり、時にはうっとうしいと思う存在が、失ってはじめてかけがえのないものであったと知る。人とはまことに業深きものであると思う。そして生き残った者はどんなに苦しくても、その課せられた使命を見つけ出し、亡くなった人々の命を背負いながら生き続けなければならない。しかし1人では苦しい。
傍にいてくれる家族や友人、地域の隣人がいてくれて、ともに泣き、ともに笑ってくれるから前を向けるのだと思う。
今年、妻は400枚以上の年賀状を送った。誕生日の花束というパステル画を絵ハガキにし、毎日左手で宛名を書き、
今年の目標である秋の個展の開催を伝えていた。 そのせいで私が存じ上げない名前の方たちからも数多く賀状の返礼をいただいた。その中には自身が癌と戦っていたり、妻と同様に障害を持つ方達がいて、ぜひ直接会って話をしたいと記してあった。妻の前を向くエネルギーの源泉を知りたいらしい。
妻の初夢はまだだという。きっと夢を見る暇もないほど、昼間のリハビリで疲れているのだろう。でも正月の朝、「よーし、やるぞー」と気合を入れて起き上がる姿は、私の初夢がいつか正夢になるであろうと予感させてくれた。 |
★さて・・・・とっても嬉しいニュースがありました・・・・・・
19日に書いたAさんのことです・・・・・・Aさんのご主人とお子さんは、先週お肉を送りました、あの相川仮設住宅にお住まいだったことが
同じ19日に分かったんです!!!!!
なんて・・・不思議なご縁なんでしょう・・・・・Aさんは、10年前、きりんのコンサートをお聴きになってらっしゃいます。
いつか、この相川仮設住宅で、きりんのコンサートができるといいなって思っています。
Aさんの思いがきりんやきりんの友人を動かしているんじゃないかしらとさえ思える一日でした・・・・・・・
2月19日・・・・・・・
昨日は、10年前、きりんが陸前高田市での講演コンサートをしに行ったときに、宮崎から参加してくださった女性とお茶をしました。
そのとき、Aさんという女性が陸前高田市にある松原のあたりを案内してくださったことをお聞きしたんですね。
残念ながら、そのAさんは津波でお子さんとご主人を残して天国へ・・・。
そのAさんが、私の友人に送られたお便りとか10年前の陸前高田市報とかが残ってると知りました。
手元に入りましたら・・・・差し支えの無い範囲でここにご紹介できればと思っています。
いろんなご縁ってあるんですね・・・・・
2月18日・・・・・・
昨日も別の仮設住宅の会長さんからお電話が・・・・・
きっと、雪が降る中・・・・寒い中・・・・重たいお肉を一つ一つ配ってくださって・・・・申し訳ないですね・・・・
食料支援とはいえ・・・・被災者の方に配らせていることには間違いが無く・・・・いつも・・・やってよかったという気持ちと
そうなんだろうかっていう気持ちが交差します。
自治会長さんだって・・・家が流されていらっしゃる訳です・・・・身体も心もお元気だろうかといつもそのお電話口で
探り探りお話をしている私がいます・・・・・無理されてるんじゃないかとか・・・・・
みなさんに逢いたくてたまらない気持ちが一杯になるときがあります・・・・・
本気で「宝くじ」があたんないかなあって思ったりしています・・・
なんとも言えないもどかしさ・・・・今できることをこつこつと・・・こつこつと・・・・
岩手県の羊羹がありました・・・・食べました・・・・・だから・・・・・太りました・・・・・・はぁ・・うふふ・・・
悲しいのに・・・にっこりしながら食べてしまう・・・・もう・・・・・すぐ・・これだもの・・・・・
(今度からは、泣きながら食べます・・・・・・・・・・うそっぽ過ぎました・・・まったく・・・きりんは!)
2月17日・・・・・
昨日は、陸前高田市の下記の仮設住宅の自治会長さんたちから「届きました」のお電話がきました。
なかでも、一番心がジーンと来た言葉は、
「義援金も底をついたこの頃なので、こういう支援は大変嬉しく思います・・」でした。
わずかな義援金でしたものね・・・・・あれからもう二年・・・・持つはず無いですよね・・・・・
もっともっと・・・何か送りたくなったんでした。
3年目になりますと、だんだん、支援が少なくなるでしょう・・・
現実は、暖房のあまり効かないあの仮設住宅で・・そう・・・・借りのお宿での生活が一日も早く市営住宅とか県営住宅のような
ちゃんとした建物へと移れる日が来ますようにと切に願っているところです。
皆さん、大丈夫でしょうか・・・・・
寂しくないですか?元気になれそうですか・・・・・
困っていることがありましたら・・・どうか伝えてください・・・・・
2月13日・・・・・・
今日、佐野地区と相川地区と西和野地区の仮設住宅にお住まいの方々宛にお肉と肉巻きおにぎりなどを送りました。
日向屋さんのお陰です。そして、福山運送さんのお陰で安い料金で送ることができてて・・・心からありがたく思っています。
もちろん、きりんの村にひょっこり顔を出したばっかしに、重い段ボールの持ち運びをさせられた方々にも本当に感謝しています・・
ごめんなさい。
きりんひとりだったら到底できっこない支援活動ができています・・・・・ありがとうっていう言葉以外には何もありません。
では・・・・またね。
2月12日・・・・・・
またまた宮崎フードバンクさんのおかげで、お肉が届きました。
今回は、小さな仮設住宅へと考えています。
①佐野地区仮設住宅
②相川仮設住宅
③西和野仮設住宅
です!
いろんな背景があるんだとは思うのですが・・・・
同じ仮設住宅でも、なかなか物資が来ない仮設住宅もあるようなんですね・・・・・・
なかなかそんな情報は、耳に入ってこないので・・・・いつも気になっていて・・・
できるだけ、耳を大きく開いて・・・・心の目も・・・・そう・・・心の耳も開いて・・・・・
今・・仮設の方々の一番欲しいものは、物資というより、「心」なんじゃないかなって思うんですね・・・・・
☆もし、これをご覧になられてる方々の中で、確実にあなたの「優しさ」を仮設の方にお渡ししたいと思ってらっしゃる方がおられましたら
どうぞ、きりんの村かきりん自身にご連絡ください。
お便りでもなんでもあなたの「優しさ」いつでもお引き受けします!確実にお届けしますので!
★佐野地区仮設住宅さん、相川仮設住宅さん、西和野仮設住宅さん!
来週初めには届くと思いますので・・・待っててくださいね!!!
2月11日・・・・・
ちょうど1年と11ヶ月になりましたね・・・
その日、きりんは、福岡の博多に約3週間ほど(家族の用事のため)滞在していたときでした。
寒くて寒くて・・・・・しかし、ちょうどその時って、宮崎県の新燃岳が噴火していた時でした。
2011年1月19日に新燃岳大噴火が一回目・・・27日、30日、2月1日、14日と大きい爆発は続いていました。
小さいのは断続的に・・。
都城市や小林市は、灰がすべてを飲み込んでいて農作物も、家々も・・大げさなんですけど、あの、ベスビォ火山の噴火でポンペイ市が
一夜で埋まってしまった様子を再現するかのような風景をバスの中から眺めながら・・・
宮崎県は、どうしてこんなに大変なことばかり続くんだろうって思ったのも本当でしたね。
バスの中からはこんな感じに見えていました。
当時、きりんは、博多と宮崎を何回も往復していたものですから、噴火のたびに高速バスが遅れたり、不通になったり・・・あるいは
遠回りにあってスケジュール調整が大変でしたね・・・・・この時ばかりはバスに酔ってしまってました。
特に、空振が初めての体験でしたから、夜中の突然のガタガタ音には驚いてばかりでした。そう、家は揺れないんです・・・でも・・・・
ガタガタガタガタ・・・・と家中が静かに音をさせるんですね・・・振動が音をさせる・・・(書くと当然ですね・・あれ・・・)
2月16日に博多を後にして、やっと宮崎に落ち着き・・・3月11日・・・なんできりんは成田にいたんだろうかあって・・
いまでも不思議に思います。
思えば、自然が自然を生きていると言ってしまえばそれだけのことなのですが、本当に怖いなあって思いますね。
あれから二年・・・・すごい二年・・・・・
2月9日・・・・・
お昼、ゆっくりしながらテレビを見ていましたら、陸前高田市が出ていました。
安倍総理が来られたというニュースでした。
知った方はいないかしらと見ていましたが・・・・いませんでしたね。
市長さんは知っているのですが・・。(昨年の夏、陸前高田市の小学生と一緒に来られましたから)。
さて・・・・竹駒食堂に売っていた草履がおくってきました←多分・・・・確認はしていませんが・・・
大事に飾ろうと思っています。
12月3日の朝、竹駒食堂に(勝手に)CDをおいてきたのですが・・(ごめんなさい)
その横にあった草履にそっくりでしょ・・・これは、100歳のおばあちゃまの手つくりですって!!しっかりつくってありますよ!
それから、黙っておきてきたCD「青空へ」はすべてみなさんが持って行ってくださったとのこと・・・感謝です!
竹駒食堂さん、ありがとうございます!!!!!
2月7日・・・・・
頂いたメールより(許可を得ました)
『私達の岩手県は広くて県北まで行くには車で五時間もかかり大変です。陸前高田市は県南部で海岸沿いにあります。
震災前は、やはり海の幸いっぱいの素晴らしい温暖な地域でした。海水浴場。川釣り、山にと本当に良かったんです。ただの田舎ですね。』という文章を読みました。
こんなノホホンとしたグータラリンの自分でさえ胸が痛くなります。
『・・海の幸いっぱいの素晴らしい温暖な地域でした。・・川釣り、山にと本当に良かったんです。』
過去形でしか、おっしゃることのできない深い悲しみ。おかけできる言葉もありません。
きっと、3.11を前にして、御多聞に漏れず、陸前高田市も、日本中のメディアの方々の取材が頻繁に入っておられるのでは
ないでしょうか・・・・・・・
落ち着かないでしょうね・・・・・・・
きりんは、悩むんですね・・・・・・・皆さんのプライバシーはとっても大事で大事で・・・・・・
でも、やっぱり、被災地のお話や情報が途絶えたら・・・きっと被災地ではない地域に住むものは・・・・きっと・・・
たぶん・・・・・完全に忘れるんじゃないかしらって・・・・・どうしても思えるんですよ・・・・・
今まで生きてきた日本人としてのたしなみとしては、自分のことは(良くも悪くも)あまり声高に言わないように
ってなってたんだと思うのですよ・・・・
だけど・・・だけど・・・・あまりに大きすぎる被災ですもの・・・・・・・
うまく言えないんですけど・・・・・・これ以上みんなが傷つくことが無い情報のやり方とかがみつかるといいなって
ひとりで悶々と思っています。
では・・・・また・・・・
2月6日・・・・・・
昨日、高田高校から、お電話が入りました!!
無事着いたみたいです!!!
ほーっとしました。
生徒さんたちから、後日お写真が届くかもしれません。
そのときは、ここへの掲載の許可をいただけましたら、お載せしますね!
ではでは・・・・・
2月5日・・・・・・
今日は、高田高校へCDが着きます!!
とっても嬉しくて!
☆来週か再来週に、またまたお肉が届くようなんです。
仮設に送りたいんですが・・・・・どこに送ったらいいでしょうか・・・・・・もしよろしかったらご連絡ください!!
200個くらいはあるんだと思います。
2月2日・・・・・・
先日書いてますように、岩手県にお住まいのAさんが、与論島のYさん宅にたくさんの文庫本を送ってくださいました。
700冊!!!
書くとちょっといやらしいのですが、宮崎から与論島までの送料と、宮崎から岩手までの送料は、どちらが高いかと言いますと、
実は、与論島までの方が高いのですね。
今回、岩手県から与論島まで、それもこんなにたくさん・・・・この優しさに感動と感謝で胸が一杯になるんですね・・・。
わあ・・すごーい!びっしり・・・・
☆あの・・・・・実は、きりんは・・・またまたやっちゃったんですね・・・・・・・・・何をか・・・・・・・
今回、岩手県のAさんのご本は、与論島のYさん宅に送っていただくことになっていました。
ですから、きりんは、ちゃんと与論島のYさんのご住所を岩手県のAさんに教えたのですよ・・・・メールでね!
しっかり、チェックしながら・・・・送信!!!
なのに・・・・・・岩手県のAさんが送られたこの大量のご本は、Sさん(同じく与論島)のところへ送られたのですよ・・・・
もう・・・・・びっくりしました・・・・・・・・いやいや・・岩手県のAさんも、与論島のYさんも、そして、何も知らないSさんなんか、びっくり仰天!
すみません・・・・・・・・はぁ・・・・・・その夜はすごく落ち込みましてね ・・・・・・・・送信済みメールを調べると、やっぱり、きりんは、
岩手県のAさんに与論島のSさんのご住所を書いてましたもん・・・・・・
私・・どうしたんやろうかあ・・・って心配して・・・・・
それで、翌日、友人にその事ときりんの頭がおかしいことを相談したんです。すると・・・・・
「心配要らないよ・・・だって・・・それって、あなた、昔からだもの・・・」って言われちゃって・・・余計落ち込んだんでした・・・。
そんなこんなでした・・・・
「きりんさんって面白いよね~これも愛嬌だよね~とSさんとふたり、話に花が咲いたのでありました。
Sさんの所は、昨年の超大型台風三連続で、大きな被害を受けてしまい何百冊という本が水浸しで駄目になり
Sさんは『俺の住所で本が送られてきたのは、神様のお恵みだあ~!!』と飛び上がらんばかりに喜んでいらっしゃいました
それで、Aさんが送ってくださったご本の半分は、とりあえずSさんの所に置いてあります。」とYさんから・・・・ごめんなさい・・・・
2月1日・・・・・・
昨日は、本当に感無量の日となりました。
お手伝いに来てくださった方々・・・ありがとうございました。
工場長(ふふふ)の肩が懲りまして・・・ロッシーさんが揉んでます! なのはなちゃんと由起子ちゃんです
この3箱が高田高校へ!
真ん中のお菓子は、すべて「合格祈願」って書いてあるお菓子なんです。高田高校への箱のクッション代わりに入れました!
皆さんで食べてくださいね!!!
オフィスプロマユ さんから、250枚のおまけのCDが届いていました。マユさん・・本当に感謝しています。
☆残りの400枚は、きりんが陸前高田市に行くときに、そちらで配りますね!
ほっとしました・・・・・・・・・・・・・泣きそう・・・・うれしい・・・・・
1月31日・・・・・
今日は、ついに、CD「青空へ」1000枚の完成日です。
多くの方々の優しさがいっぱい詰まったCDです。
今夜、たくさんお写真掲載しますね・・・・
高田高校への600枚は、今日の午後3時に荷物出し予定ですから、2月5日頃には到着するかと思います。
楽しみにしていてくいてくださいね。
それから、岩手県にお住まいの方が、約700冊の文庫本を与論島に送ってくださいました。
夕べ到着したとのこと・・・・・。
被災地にお住まいなのに、遠く遠くの与論島に・・・もう・・・泣いてしまいます・・・・・
本当に本当にありがとうございました。
またこれもお写真が届き次第ここにお載せしますね!
では・・・・
1月30日・・・・・
杉尾さんのお話の中で初めて知ったことがありました。
伊達政宗のお話でした。
下記の地図のように、今回もこの歴史街道のちょっと手前で津波は止まっていたというのです・・・ほおお・・!
国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、
道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。
宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。
平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、
今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。
津波を想定して道を敷いた可能性は高い」と指摘する。
★きりんは、詳しく説明できる力がありませんから、だいたいを書きますね。
昔の人は、しっかり歴史が残した意味を考え忠実にそれを教訓として生きていた・・・ということではないんでしょうか・・ね・・・・
それで・・・古墳があるところには、地震の影響も津波の影響もなかったのではないかとお話が出ていました。
きりんちは、海の近くなんですね・・・・この一週間随分考えましたね・・・引越しすべきかどうか・・・
でも・・・きりんには、貯蓄がほとんどないんですね・・・・この状態で家を作るとなるとその後、どうやって食べていったら
いいのか・・・途方にくれるわけです・・・・・
それよりも、この住み慣れた家を出る、壊す・・だなんて考えるだけで悲しいんですね・・・これが、突然津波がきて奪われたりしたら・・
・・・もう生きていけないなあってつくづく思ったんでした。
なんだか・・・・今日のきりんは、社会科の先生みたいですね・・・・ふふ
1月26日・・・・・・
水曜日のお話の続き・・・・・・
・・・いろんなお話の一部を書くだけですから・・・少々伝えにくい部分もありますが・・・・
震災地域の中でも、今回津波の来なかったところは、家が全壊していても全くボランティアの方々は来ていないとのこと・・・・・
全てかどうかは別として、そうした地域がたくさんあるということを知りました。
・・うん・・・陸前高田市だって、津波が来てなければ、ここまで大変な状況には陥っていませんものね・・・・
きっと、津波が来てなければ、ここまで多くの方々が命を落とすことにはならなかったし、財産が根こそぎ無くなることもなかったはずで・・・・
・・・阪神淡路大震災の時は、あの火事が起こらなければ・・・・。タラレバのお話はやめますね。
杉尾さんのお話の中で、きりんが一番泣いた言葉・・・・・
「あの震災で、自分はこう思った。心底、神様を恨んだ。もう・・・信じねぇ・・・冗談じゃねぇぇ・・・神なんか全く無慈悲じゃねえか・・・
神も仏もねぇじゃねぇか・・・無謀さ、無慈悲さを心底思った・・・・」
実は、ここまで、夕べ書いていたのでした・・・・・ずっとずっと泣いてしまって・・・神様がわからなくなって・・・
なんで・・なんで・・・って神様に食って掛かってて・・・・祈ったってちっとも神様は願いを叶えてくれないじゃないの・・・
なんで、こんな時、神様は黙ってるんだろう・・・・なんかやってよ・・・どうにかしてよ・・・って・・・はぁ・・
いつも思う着地点は、自分自身の無力さを知らされて・・・ただただ頭の中が真っ白になるだけ・・・・・
そうしてたらそのまま眠っていたのでした。
やっぱり・・杉尾さんのお話の続きはあすにしましょう・・・・・
1月24日・・・・・・
CD「青空へ」1000枚の録音入りCDと、CDレーベル印刷と、CDケースに入れるパンフレットとケースと、ビニール袋すべてが
揃いました!!!
31日に皆さんにお声かけしてありますので、その日に完成させたいと思っています!!
高田高校に送るのは、2月1日か2日ですから、6日ごろには高校へ着くかと思います!!!
すごく嬉しいです!!
さて・・・
昨晩は、きりんの村で、震災についての話し合いがありました。
特にNHKアナウンサーの杉尾さんは、仙台で被災された方なので、とてもとても衝撃的なお話でした。
きりんも自分の311の夜のことなど思い出すと同時に、知り合いになれた陸前高田市の方々の想いを想像しながら
涙がとまりませんでした。
フラッシュバッグっていうのは、その当時をまざまざと、その匂いまで思い出させるんだよなあっておっしゃる杉尾さんの言葉・・・・
恐怖で恐怖でたまらないその気持ちが(多分当時以上に)思い出されてくるとおっしゃってました・・・。
20名ほどの方々の空気が重く重くなってゆきました。
「共苦」する時間というそうです・・そんな時間も。
きりんは、自分の勤めとして、震災で直接感じたままをこの宮崎でお話するのが当然だと思ってきました。
しかし
実は、それをお話すると必ずその場が重く重くなるのでした。
だんだん・・・震災のことをお話するのを躊躇し始めていた矢先でしたから・・・・・
でも、昨夜のように、「共苦」することの重要性を聞かされて・・・・勇気がでたんでした。
先日のなほこさんのお話、市役所から保健婦さんとして大槌町に行かれた方のお話、福島などを何度も訪問されてる大学の先生などなど・・
みなさんのお話しはそれぞれに真実が語られていました。
特に被災した子供たちの話になりますと、涙ぐむシーンもあって・・・。
杉尾さんのお話の最後にあったのですが・・・・
ここ宮崎の知事でさえ、「南海トラフは、30年はこないですよお・・・」って笑っていて、本当に腹が立つほどだったと。
三陸の方々は、よく避難訓練をよくやっていたのにあれほどの被害を受けてしまった・・・だったら・・さほどの対策を取らない
宮崎に来たとしたら・・・報道されている1万2千人どころか4万人は死ぬかもしれないと思う・・・と杉尾さんは真剣に真剣におっしゃってました。
(もちろん、避難訓練は、以前よりも多くなりました・・何もやってないのではありませんが)
以前も書きましたが、イオンは、日向灘の近くなんですね。きりんの家もそうです。
しかし、このあたりには5階建て以上のマンションが少ないんです。
きりんの村は3階・・・屋上がある・・・・しかし、そばには大淀川が流れてて・・・・きっとそっちの被害もくるような気がします。
お話を戻します・・・
下記は、夕べ、きりんの村の玄関先でお聞きしたのですが・・・
ある女性のお話から・・・・・宮崎県内の小学校の先生方の中に、こう話す方がいるようですと・・・聞いたのです。
「あんな大きなのがきたらどうしたって助からないのだからみんなで(生徒たちと)一緒に死のう」と・・・。
もう、きりんは怒り心頭です・・・・・・
・・・こんな考えって・・・それも学校の先生が一番初めに(まだ何か対策があるかもしれない時点で)諦めているだなんて・・・・もう・・・・
・・・・・お願いだから子供たちをどうにかして助けてよ・・・
子供たちと一緒に死のうだなんて絶対許さないからって・・・思ってたら昨夜は眠れなかったんでした。
もちろん、このお話が真実かどうか、どなたがおっしゃったのかは全く調べてもいないのです・・・事実でないかもしれません。
いや、ただの作り話なんだと思いたいです。でも
そういう空気は、一般住民の中にもあるのはきりんも知っています。
昨夜のお話は、ここに書ききれないくらいの量がありました。
しかし、言葉で書き尽くせない思い・・・っていうのが本当かもしれません。
今日は、すみません・・・少々感情的な書き方になりましたね・・・・・ごめんなさい。
1月23日・・・・・・・・・
昨日、イオンに行きました。
WAONカードっていうのを作りました。
これを買いました。カード代300円。イオンでお買い物するたびに
このカードにお金を入れてそれを使い、ポイントを貯めるんだそうです。
それで、きりんが選んだこのカードは、岩手県版!!
平泉の文化遺産のために私のお買い物のほんの一部がいくんだそうです。
早速、3000円入れて、2500円のお買い物をしました。
このカードは、東北支援のカードなので、福島県、宮城県などなど・・・たくさんの種類がありましたね・・・・・
自然と、毎日のお買い物の中から支援が出来るこのシステムにちょっと感激したんでした。
四日ほど前でしたか、NHKの朝の番組を見ていましたら、足湯ボランティアの活動の様子が出ていました。
すると、陸前高田市が!!!
そして
あの、モビリアが!!
あの、八起プロジェクト蒲生さんが!!!
嬉しかったです!
足湯のボランティア・・・・いいですね・・・・・・・
「きりんの肩もみボランティア」とか・・・いいよね・・・
きりんは、頭もカラダも弱いのですが、指先だけは強いんですよ・・
「肩もみ要りませんかああ」
1月19日・・・・・・
昨日の続きです・・・・
吉田さんからご自身で撮られたお写真も送ってきていましたので(これもご本人の許可を得ましたので)お載せしますね。
右のは、陸前高田市にある竹駒郵便局のポストなんだそうです!
宮沢賢治の「アメニモマケズ」が彫ってあるようです。右側は、一本松ですね。
昨年8月11日福島県、宮城県、岩手県合同で同じときに花火大会があったようです。
ナイアガラの滝・・・・人影がとっても幻想的で素敵なワンショット!!
竹駒近くの道路に咲いていた向日葵だそうです・・・・・・
・・・恵美さん・・「ライオンさんに似てるでしょ!!」・・・言われて見ると、そうですね!
またお写真送ってください!御待ちしています。
1月17日・・・・・・・
昨日、陸前高田市細根沢仮設住宅にお住まいの吉田恵美さんより詩が届きました。
いつもながら素晴らしい詩に感動しています。
春はきっと届く 吉田恵美
この街にも届くでしょう
春という花咲く季節
雪が解けて 水に変わって
若草が顔を見せた時
この街に春は届く
この街にも見えるでしょう
春という星咲く季節
海に星が流れ隠れて
朝陽が顔を見せた時
この街に春は届く
この街にも芽ばえるでしょう
春という生命(いのち)咲く季節
雨が降って虹が架かって
青空が顔を見せた時
この街に春は届く
春はきっと届く
あなたの元にも
春はきっと届くでしょう
H25年 1月10日(木)
1月17日・・・・・・
ご報告になります・・・・・1月31日に、予定どうりCDが完成しましたら、すぐ、岩手県立高田高校へ「青空へ」のCDを送れることがさっき
決まりました。・・・本日、校長先生の許可がで出ました!!
生徒さん527名、先生方64名だとお聞きしましたので、600枚を贈ろうと思っています。
・・・
高田高校の合唱部では昨年からすでにこの「坂道の歌」を合唱で歌っているんですね。
一度お聴きしたかったです・・・残念・・・
・・・
それから、きりんがこのCD作成を急いだ理由ですが・・・
そう・・・ご存知のように支援金は、まだまだなんですが、それでも決行したかった理由・・それは、
今の高校3年生は、2月までは高校に必ず毎日いるよねって思ったからなんです。
今の高校3年生は、高校1年生の時に震災に合い、この辛い2年間を耐えて、そして下級生や地域の方々を
支えてきた子供たちですよね・・・。
避難所でも本当に献身的に地域の方々を支えている映像を全国の人たちが見ていましたものね・・・
あの子供たちの姿には何度も泣かされたものです・・・今でも胸がいっぱいになりますしね・・・
そしてあと2年すると成人式を迎えて社会人へ・・・・・
こんなこと言うと弊害があるかもしれませんが・・・・将来を考えてみますと、
この3年生たち(高校生だけではないんですが)が一番この陸前高田市を支えていかねばならない年齢層に
なってゆくよねって思われて仕方ないんですよ・・・
最も多感な16歳・・・・・・相当な衝撃と深い悲しみをどう受け止めていただろうか・・・って思うと・・・・・
きりんにできることは、音楽しかないでしょ・・・・だから・・・・お金は必ず月日が経てばなんとかなります・・・でも
この3年生たちは、今配るしか方法が残ってないって自分で強く思ったものですから・・・
※別の高校に通っている子供たちのことも、またすでに働いている子供たちのこともとっても気になるのですが・・・
今のきりんに出来る方法はこの手段しかなくって・・・許してください。
★いずれ、何百枚かは、陸前高田市内のコンビニとかに置かせていただけるとありがたいなって思ってはいるのですが・・
なにせ、そちらに住んでいないものですから・・・今すぐには行動に移せない状況です・・・・
★陸前高田市にゆかりのあられる方々にこのCDを送りたいとお考えの方へ・・・どうぞきりんにご一報ください。
相手の方の郵便番号とご住所とお名前が必要です。こちらから、その方に郵送させていただきますので。
ここへ
★雪はどうですか?
1月15日・・・・・・・
★1月31日(木)午前10時から夕方6時まで・・・・CD「青空へ」1000枚の作成をします。
これが最後になると思います。
11月にお願いした内容と同じになります。
①ケースに、パンフを挿入
②その中にCDをはめ込む
③それをビニール袋に入れる。
④枚数ごとに仕分ける
以上になります。
どうかどうかご協力よろしくお願いいたします。
★雪・・・とっても積もっているのではないでしょうか?
仮設住宅の雪降ろしなど、どうかくれぐれもお怪我などなさいませんようご注意くださいね・・・
とっても心配しています。
また転んだりしないように・・・・・気をつけてくださいね・・・・・・
1月11日・・・・・・・
先日ののど自慢をよくよく聴いてみますと・・・・・・・
いっぱい鐘を鳴らすことのできたある陸前高田市の男性・・・震災で家族を失って・・・確か・・・ひとり??とかおっしゃってる
ようなんです。女性のお名前が二人とご両親・・・たぶん・・・奥様と娘さんなんだろなあって思ったんでした。
じっくり見ますと、泣けてしょうがないんですね・・・・・きっと沢山の方がテレビの前で泣かれたことと思います・・・
・・あっ、10分前、福島県沖震度4がきましたね・・・・・・(今、現在10日夜10時ごろ)
人は、どこまで強くなればいいのでしょう・・・・強くなくても生きられる世界が欲しいです・・・・
頑張らなくても大丈夫な世界にいきたいです・・・・・
できることなら・・・・・・・悲しみのない世界にいきたいです・・・・・・辛くて泣くことのない世界にいきたい・・・・
ほんとに そう 思う・・・・
悲しい・・・・・・
1月9日・・・・・・・
やっと、陸前高田高校の分まで注文できることになりました。(本日追加1000枚を注文しました)
2月末までには、なんとか間に合うようです。
この活動の途中から大船渡市の子供たちまで配れるといいなって思っていましたが、予算的にこれが限界のようです・・・ごめんなさい。
このCD作成は基本的には今回の追加分で終了になります。
今回の1000枚分の内500枚が陸前高田高校の生徒さんの分で、残り500枚は、次回、きりんが陸前高田市でコンサートしますときに
皆さんにお配りする分になる予定です。
子供さん達には、平成23年度内に何とか間に合うようなので・・それがとっても嬉しく思っています。
皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
合計しますと、全部で3500枚・・・・・こんな私にご協力してくださいました多くの方々に
心より感謝申し上げます。
こんな大それたことができましたこと・・・死ぬまで決して忘れることは無いと思います。
夢のようにさえ感じています。本当に皆様には感謝以外にありません。
逐次・・・この配布の状況は丁寧にご報告してゆきたいと思っています。
高校の分を配り終えましたら、CD作成に関係して頂いた方々すべてにきちんとご挨拶したいと思っています。
今しばらく見守っていてくださいますようお願いいたします。
1月7日・・・・・・・
昨日は、のど自慢大会を生で12時45分まで見てました。残りは、録画してあるのでまた後で見たいと思っています。
陸前高田市の横田町(?)の若い女性の方・・とーっても上手で、一杯鐘がなりましたね!
県立高田病院の看護師さん達のも・・・じーんときましたし・・・
とにかく、半分までの間に陸前高田市の方が三人も鐘がいっぱい鳴ってました・・・・嬉しかったです。
やはり競争率高いですね・・・・・・皆さん、抜群の歌唱力でしたもの・・・・。
いろんな方がいろんな思いを込めて歌ってらっしゃいましたね。
後・・・大船渡市にボランティアに来て、それがきっかけでその大船渡市に住むようになられたというご家族もいらして・・・・
感激したんでした・・・
(陸前高田市と大船渡市はとっても近いんですよ・・・車で15分か20分くらいですよね?)
県立高田病院 のHPをいろいろみていました。
まだまだ診療してくださる曜日と時間が少ないんですね・・・・・もっと必要でしょう・・・・・
今年の4月から、宮崎の病院からひとりの若い独身男性医師がそちらに行きますよ。(そちらの病院でしっかり働き、ずっとそちらに住みたいと)
二年前にも書きましたが、彼(宮崎出身)は、東北で、3月11日津波に追いかけられながらも必死に逃げとうせた人です。
こちらで二年間の研修を無事終え、今年4月からは、そちらで・・・。当時彼は、
「僕は東北では何でもできる医師にならなきゃいけないので沢山勉強しないと・・・・」って言ってたそうですしね。
頑張って欲しいととっても思います。嬉しいです。
1月6日・・・・
のど自慢大会のことですが、とっても難関だったようで・・・・残念でした。
近ければ・・・・逢いに行くんですが・・・・・・・・・
でも・・・・・今日ののど自慢大会のテレビには、岩手県の方々が沢山出演なさることには間違いがないので・・・ぜひ
見て応援したいと思います。
皆さん、体調には本当に気をつけてくださいね。
では・・・・・
1月5日・・・・
先月、陸前高田市からレンタカーで一ノ関へ帰った時のこと・・・・
一ノ関駅の売店で(新幹線出発までに10分しかなかったのです)、何も考える余裕も無くて買ったキャラメルです。
昨日、自分で食べてみようかなって思い、よくよく見てみると・・・・あれええええええええええええええ・・・・
「山形」の商品じゃないですかああ・・・・・・・
あらああ・・・・・ばかねえ・・・・・・でも、美味しそうだったのでひとつ口に入れてみたんです。
お餅の香りと枝豆の香りがふわーっとしてきて美味しいキャラメルだったんです!!
・・・・・北海道の花畑牧場で、これを作ると、またまた全国的に売れるかもねって独り言いったんでした・・・ふふ・・・
宮崎のマンゴーも元県知事さん(東国原さん)が頑張って花畑牧場さんと提携して生キャラメルを作ってもらったんでしたものね・・・
・・・・・ずんだキャラメル! 結構いけました!
思えば・・このごろ・・・食べることばっかり・・・・・・
☆さて、米崎仮設住宅にお住まいの方々で作っておられる合唱団が、今日、大船渡市でNHKのど自慢大会予選に出場
なさいます!今日の午後5時ごろ結果が分かるとのこと!
予選通過しましたら、すぐここに書きますね!
どきどきしますが・・・・・・是非、通過なさって・・・6日の日曜日のお昼の生ののど自慢大会に主演していただきたいと
つよーく願っているところです!テレビにかじりついて観ますから!!
かみさま、おねがいねええ!
☆今、花畑牧場のHPを観ていたんですが・・・・すごく商品が増えているんですね!
数年前、新千歳空港で、(甥の結婚式に呼ばれたんでした)この花畑の売店で買おうとして、約1時間近く並んだことをおもいだしました。
懐かしいなあ・・・・・
1月4日・・・・ 2日の独り言に書いたのの説明です。
この缶のお酒は、陸前高田市のお酒です。この会社のHPより抜粋します。
ぜったいに復興する!
震災直後、瓦礫の山と化した弊社敷地を目の当たりにし、「酔仙もこれで終わりか」と、一度はそのような言葉が頭をよぎりました。
しかし、瓦礫の山から突き出した鉄骨に酔仙の樽がぶら下がっているのを見つけた時、それが単なる偶然ではなく誰かが自分たちの背中を押しているように思えました。
とあるテレビ局の記者からインタビューを受けた際、口をついて出てきた言葉は「ぜったい復興する」の一言でした。その場の勢いというものではなく、この根底にあるのは自分なりの「根性」です。
全てが無くなったのでそれで終わりにするのではなく、まずは前を向いて出来ることは全てやってやる。
そして最終的にはこの気仙の地に必ず戻ります。
上記に書いてあるように、鉄骨にぶら下がった酔仙の樽・・・・・何かこみ上げてくるものがありますよね・・・・
・・・・・あまり呑めないきりんが言うのもなんなのですが・・・・次は、炭酸で割ってでもまた呑みたいなって思います。
1月3日・・・・
昨日は、きりんの村で、陸前高田市の支援活動のお話をさせていただきました。
覚えておられる方もあるかと思いますが、東京から駆けつけてくれた「るみさん」がそれこそ、飛行機に乗る前の貴重なお時間を
わざわざ作ってきりんの村まで来てくださいました。ありがたかったです。左側の女性です!
昨日、きりんの村でお別れするとき、二人でハグしあったのですね・・・・涙が出ました・・・・陸前高田市で(きりんは、コンサートの前日まで
るみさん達が来るって知らなかったんです・・)
同じ空気を吸って、ご飯を食べて・・・仮設住宅の皆さんと過ごした・・・・・・。
言葉にならない感動があふれてきて・・・・・昨日も、とっても感動したんでした。
あの3月11日・・・皆どこにいて、どのような状態だったかなどをそれぞれに話していました。
良き一日となりました・・・・・
1月2日・・・・
29日・・・・もう一品作っていたのを遅ればせながらお載せしますね・・・・
陸前高田市でとれたホタテ・・にんじんパスタのホタテクリームソース和え!
ホタテが新鮮でしたものね・・・お客様もとっても喜ばれていました。感謝!
陸前高田市高田町にある岡田リンゴ園の林檎ジュースです!!!
こんな美味しい林檎ジュースは滅多にないと思いました!!残りわずかみたいですが・・ぜひ一度飲んでみてください!!
ご用命はきりんまで!!!!きりんは明日にでもFAXで注文しようと思っています!!!!!!
★皆様、とっても寒いでしょう・・・・・くれぐれも体調管理にはお気をつけてお過ごしくださいませ・・・・・
1月1日・・・・
1月になりましたね・・・・・寒い日々がまだまだ続きますが、どうかお体にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいね。
いつもいつもそちらのことを思っています。
昨晩は、10時ぐらいからずっと紅白歌合戦を観ていました。
ふるさと・・・・・いろいろとそんなことなど思いながら観ていました。
★紅白歌合戦が終わってそのままテレビをつけたままにしていましたら、「ゆく年くる年」が始まりました。
すると、陸前高田市の海岸山 普門寺岩手県陸前高田市米崎町が!!
頬に涙を一筋流しながらお祈りなさっている方の映像がとても胸にきました。
・・・・テレビをつけてて・・・良かったです。
これは、ネットで調べたものです・・・
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東日本大震災
鎮魂地蔵堂完成 |
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あの忌まわしい災害から既に1年半の月日が経過いたしました。悪夢のような出来事、がむしゃらに生きてきた私達、無念でありましたでしょう犠牲になられた実に多くの人々。未だに忘れることは出来ませんし、又、忘れてしまうことは出来ません。陸前高田市では、それを物語るように7万本の美しい安らぎの景観を私達に与えてくれた松林が消え、たった一本の松の木がへんぽんと立ち私達にあの日の出来事を伝えてくれます。
その流された松の木から悲しみを共にしていただいた復興ボランティアの人々、特にその内の長野の善光寺様関係の方々によって「親子地蔵」さん、70センチの大人地蔵2体、50センチの子供地蔵2体が当年4月に制作され、1体は善光寺様に、他の3体は災害の跡を永遠に望められる当普門寺に安置されました。
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次回、陸前高田市に参りましたら、ぜひここに立ち寄りお祈りしたいと思います。
それから、NHKのど自慢大会が今週土曜日予選ですね・・・風邪などには十分お気をつけて・・・・みんなで応援しています。
今年もいろいろとお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
月並みなご挨拶しかできませんが・・・いつもお祈りしています。
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