5月23日・・・・夜
先ほど帰ってきました。
拓桃支援学校のみなさま、陸前高田市の皆様、本当にお世話になりました。
あすまたきちんとお礼状を書かせていただきますので今夜はお許しください。
感謝と・・・・それから・・・陸前高田市では、深い悲しみをしっかり全身に感じて帰ってくることができました。
そのことにつきましては、相当な衝撃を未だ受けておりますが・・・そこに住んでおられる方々のおそばに数日間だけでも
いることができましたことは、とても貴重な体験となりました。
あのようなことが・・・本当に起こるのですね・・・・信じられないようなことが・・・・・
がれきが単なるがれきではないことを知りました。
未だその魂はそこに在るのだというような感触を痛く持ちました。
悲しくて悲しくてたまらないこの気持ちはきりんの気持ちではなく・・・そのがれきの中からの叫びなのではないのかしらと今は感じております。
陸前高田市を離れてもなお今日も一日涙がこぼれてくる瞬間が度々あったのでした。
祈らねばならないことを痛感し・・祈り続けたような今日一日でした。
願いが叶うとかいうような祈りではなく・・・突如として死なねばならなかった方々の無念さや悲しみにたいするとりなしの祈りでしょうか・・・・。
全身が未だ混乱しているきりんです。
でも・・・・こういう状態になれたことを大変貴重なことなんじゃないかと思っています。
たくさんの方々にご迷惑、そしてお世話になりました。
特に陸前高田市の皆様に神様の深い慰めがありますよう心からお祈りしております。
今夜のことろはこれで・・・・
5月24日・・・・・・
さて、ご報告に入ります。
18日・・・10:40に仙台空港に到着。陸前高田市にお住まいのM氏にお迎えと音響のお仕事を安いギャラでお願いしました。申し訳ない。
M氏・・・被災地のお住まいにも関わらずご協力いただき心から感謝しています。M氏は有名なベーシスト(ベースを弾く人)!
熱烈な追っかけファンがいるすごい方です!
拓桃支援学校で・・・・
きりんの右側がこの学校のS先生!!・・さいちのおはぎ美味しかったです!!!ありがとうございました。
買いに行ってくださった先生にも感謝!!
陸前高田市でのことを考えて座ってコンサートをしました。これは正解でした。
学校の生徒さんたちです。後ろから。
むつかしい内容の曲も沢山あったのに最後までみなさんお利口さんにして聞いてくださいました。ありがとう。
夏の夜の作詞者ヤマピー君と握手をしました。
きりんのコンサートで泣き出した女の子達ふたり・・・・いじらしくて可愛くて・・・つい抱きしめてしまいました・・・
感受性が豊かで優しい女の子達でした。素敵な女性になるって思いましたよ。
拓桃支援学校のみなさん、本当にきりんは嬉しい思いでいっぱいでした。みなさんにお会いできてやっとホッとしたんでした。二年前のお約束
果たせて・・・本当に待っていてくださっててありがとう!!
またいつかどこかで・・・・
5月25日・・・・・・
拓桃支援学校を後にしてガンガン車を飛ばしながら(きりんは見てただけ・・ハハハ)一路、陸前高田市へ。
6時半に陸前高田市のS旅館に到着!!そして明日の楽器を積んで、今度は、一ノ関へ走りました。
あすご一緒する樋口了一(熊本)さん、ギターの渕野さん親子(大分)、樋口さんのプロダクションの社長さん(東京)らと夕食会をするためでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・夕食後は、即休みました。
思えば、渕野さんは、翌日、きりんも一緒に歌うことになった”切手のない贈り物”の楽譜を、あれから作られてたんですよね・・・すみませんでした。
そして、さあ!19日です!
第一回・・・・小泉会館でのライブです。朝、8時半に会館到着。朝食は、ソイジョイ!!美味しかったなあ!!毎日これでもいいって思った・・・。
ジャンジャン機材を運び入れ始めてるところです。9年ぶりにお会いするスタッフの方々に万感の思いを込めながら・・
本当に・・・生きててくださってて・・・よかった・・・・って心の中で思いながら黙々と設営をしました。
これが小泉会館です。ここは流されずに済んでいた場所のようです。しかし、この近くには仮設住宅がたくさんありました。
ここは、昨年3月、避難所としてみなさんがご苦労なさった場所です。
きりんのコンサート30分、樋口さんが30分。10時から11時まで。お帰りの際、お客様には肉巻きおにぎりとか鶏肉の柔らか煮とドリップ式コーヒーなどをもって帰っていただきました。すごく喜ばれました。お写真はあるのですが、お客様のお顔があまりに大写しのため掲載は諦めました・・・ごめんなさい。
終わるとすぐに次のモビリア集会所へ移動です。セッティングに30分、セッティングを外して車に積んでが30分・・・みなさん大変です・・・
陸前高田市小友町のオートキャンプ場モビリアの敷地に建てられた全60戸の仮設団地です。
ここの中でコンサートをしました。
右側の黒いジャンバーを着た人が樋口さんです。徐々にお客様が集まられてます・・・焦る・・
・・ 近くの仮設住宅です・・・ とても静かで・・
モビリアでの設営が終わり時計を見るとあと8分で本番。スタッフの皆様はすぐお弁当です。きりんは、3分で白いご飯だけを突っつきましたが・・・
すぐドレスに着替えねば・・・・焦る焦る・・・・・・・・・・
なんとか無事にコンサート終了。すぐ撤去、移動、設営へ。
滝の里会館へすぐ移動です!!!!
みんなヘロヘロ状態・・・・・・でも無言で頑張ります・・・・・・・お客様のお顔を見たとたんニッコニコ!!
もうお写真撮ってる体力と気力が無くなり・・・ごめんなさい・・・お写真がありません・・・・
そして、最後の高田高校仮設住宅の集会所へすぐ移動。
もう・・・・相当疲れきってるきりん・・・・・・・「あって!ドレスがまだ・・・」・・・・実は、その時に限って、ドレスのホックが、ボレロに引っかかって脱げない、着れない状態へ・・
でも、周りは男性ばっかりなので・・・焦る焦る・・・・会場のMCが「きりんさん、まだですかああ」って言ってるし・・・泣きそう・・・・・やっときれた・・・ほっ!
終わりました・・・・・・19日の分が・・・・・・樋口さん方とはここでお別れなのでご一緒に離れた場所にあるレストランに皆で移動しました。
左からギターの渕野さん、樋口さん、樋口さんのプロダクションの社長さんです。
赤のセーターの人が渕野さんの息子さんで現在東京でバンドを組んで頑張ってる少年?男性?高校生です!たしかね・・
渕野さんの後ろがベースの村上さんです。
樋口さん達は、20日は、気仙沼で3箇所コンサートなのでここでお別れしました。村上さんともここでお別れでした。
疲れきって・・・S旅館へ帰宅しました。
お風呂のお時間が9時半までなので急いで入りました!本当に幸せなお湯だこと・・・・・・感謝感謝・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、20日!!!いよいよひとりのコンサートです。モビリアではありますが、別の建物でやりました。
プロジェクターとスクリーン担当のSさんがお迎へに。そして昨日お邪魔したモビリアへ直行!!!!!
いやいや・・・またまたいつもの故障・・・プロジェクターが動かない・・・・S氏の素晴らしい判断でその故障が20分以上したら直っていました!!ありがとう・・・・・
たっぷりお時間があるので、いつものようにきりんコンサートをやることができました。
終わって・・・Tさん達と写真撮影!
おばあちゃんの手つくりの袋をいただきました。ずべて手縫いでした。大事に使います・・・ありがとう。
その時、在る方にお声かけられて、その日の夕方4時からコンサートをやって欲しいとのこと!
1時からの樋口さんのコンサートの応援に行くとお約束していたので、急遽急いで気仙沼のけ中の仮設へ出発!!
一緒に歌ったりして楽しいお時間でしたが、終わると これまた必死に車飛ばして陸前高田市へ戻ります。
3時に、下矢作コミュニティーセンターへ!!道間違えながらも頑張りました。
子供たちがかき氷をながらんで待っていました。
会場には、仮設住宅で頑張っておられる方々がご招待受けていました。
銀嶺グループの差し入れは最高でした。これで9回目とか・・・立派な社長さんでした。
この人です・・・・・女性社長さん・・この日の夕食代は多分100万以上かと思います。板前さんが7,8人で
作りたてのおごちそうでしたから・・・。
このコンサートが東北に来て7回目のコンサートでした。やっと立ってます・・・これが20日の夕方・・・・ここに大きな地震が・・
深夜、ものすごく甘いものが食べたくなって・・・・こっそり夜のコンビニへ・・・・ まるで不良生徒みたいでした・・・・
(現地ではS婦人がお車を貸してくださっていたのでした・・・ありがとうございました)
さて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この続きはあす書きますね・・・・・私にとっての最大の悲しみの山場は22日となっていきます・・・・ではまた。
5月26日・・・・・・
ちょっと補足してゆきますね・・・・
樋口さんのこと・・・・・ とってもお人柄も素晴らしい方でした。
お身体が冷えると声が出ないということで、前段できりんが歌っているときは、お外でお散歩とかしてらっしゃいました。
パーキンソン病とのことでしたが、その歌唱力には全くそれを感じさせないものがありましたし、何よりもトークは抜群で、みなさんの心をぐいぐい引っ張っておられました。
これからもずっとずっと今のままでいていただいきたいと思いながらそばで聞いておりました。
今回、ご一緒させていただきましたことは、幸運だったと思っています。お隣の熊本県にお住まいですのできっとまたお会いできるのではないかと思っています。
さて、これは、仮設住宅です。たくさんの方々が仮設生活をなさっています。
陸前高田市内だけで約一万人とかお聞きしました。
しかし・・・・・・・・お昼間というのに・・・人気がほとんどないのです・・・・この家の中にはおられるというのですが・・・・深閑としたようで・・・
お年寄りも多いのですからとっても心配しています。
それから、1月に友人が陸前高田市にお邪魔しました時には、スーパーもレストランもあまりないとのことでしたが、今回行ってみますと、ずべて、プレハブではありましたが
ずいぶんとできていました。短期間でのこの復興には安心できる部分と・・しかし・・・何かがちがってるという漠然としたような気持ちがずっときりんにはありました。
そして・・・そして・・・・・あのがれきの土地でした・・・・・
・・・・・・・・・相当ショックを受けていましてね・・・・・・できれば避けていたいのですが・・・・・・
これは、この報告の最後にまとめて書きたいと思っています。
きりんコンサートでは、ここで今流れている”ひまわり”という曲を毎回歌わせていただきました。
この曲の作詞、作曲はここ陸前高田市の方の曲なんですね。
すると、会場の方々にとっては、”よそ者の音楽”ではないのですよ。
自分たちの心になるわけです。・・・・当然ですけどね・・・。
何人もの方々が、涙を流しながら聴いておられました・・・。
「このひまわりのCDをつくってください」っていうお願いを沢山受けて帰ってきました。
きりんとしましては、8月25日にまた陸前高田市に伺う予定にしていたのですが、その費用をすべてこのCD制作費に当てようかなって思いはじめているところです。
CDを売ってその収益金を義援金とするよりも無料で配布する方が、陸前高田市の皆様にご迷惑をおかけしないで済む方法だと思うからです。
いろいろ考えてみますね。
S旅館に泊まったこと・・・・・・地元の人がおっしゃるには、大概のミュージシャンたちは一ノ関とか気仙沼に泊まりますよっていうことでした。
しかし、きりんは、そこで本当に良かったって本気で思っています。
その旅館の目の前まで津波は来ていたそうです。
宮崎で言うと・・・・・一ツ葉海岸から宮崎県病院あたりまでずっと大きな津波が一瞬のうちに押し寄せてきたことになるようです。それも、3階建等、いっぺんに
飲み込むくらいの大きな津波が・・・。
その旅館には、こんな張り紙がしてありました。
「仮設住宅の方々は無料で入浴できます」と。地域のために生かされている旅館でした。たくさんの方々お風呂に入りにお越しでした。
きりんに取りましては大変過ごしやすい旅館でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20日が無事終わり21日に・・・・・
朝から体調が芳しくないのでした・・・とっても疲れています・・・・・
しかし、市役所にある教育委員会にプロジェクターとスクリーンをお借りしていましたので、S氏と一緒にそれをお返しに参りました。
お世話してくださった方は残念ながら不在でしたが・・・・とにかくお返しできてホッとしました。ありがとうございましたあ!
思えば、市の職員の大勢の方々が津波でお亡くなりになり、ここも全国からの事務職員の応援がきてるとのことでした。
しかし・・・地元の方のお気持ちと他所からのものとの温度差はあって当然ですよね・・・いろいろとご苦労なさっておられるのではないかと
思ったりしましたが・・・・。
S氏の奥様からお車をお借りして、きりんは最初に”なるいし整骨院”に飛び込みました。
ここです。「かなーりこってますよ・・・」。すごくいい整骨院でしたよ!!!フルコース420円(保険がききました)
陸前高田市の皆様!ぜひ!なるいし整骨院へどうぞ!!!!上手でしたよ!!!!
お隣に座っておられたおじいちゃまにこう言われたきりんは、上機嫌!「あんたみたいな若い人もこげなとこにくるんねえ・・」
(^0^)/(@^▽^@)・・・・お化粧は常にすべし!まだなんとかなるって思ったきりんでした!!(ごめん・・・調子に乗ってます)
そして、お昼ご飯を食べに散策しました。
ここに入りました・・・
わいわいっていう食堂です。復興第一陣!の店舗だったとのこと!!
お店の中には全国からボランティアでお越しになられた方々のお便りでいっぱいでした。
読んでいるだけで胸がまたまたきゅんとなっていきました。
このなっちくがほんとに美味しくて美味しくて!!!
ちくわの中に納豆が詰めてあってそれの天ぷらでした。350円でお腹いっぱいになりました。お勧めです!!!!!
そして、いろんな仮設住宅をウロウロしながらいろんなこと考えていました。
最後のコンサートです・・・・東北に来て8回目のコンサートとなります。
4時からS旅館で。
S旅館には、5年前、脳溢血かなんかで倒れられた息子さんがおられます。これは、宮崎の地元新聞でも大きな写真付きで報道されきりんはそれを知っていました。
ご両親と息子さん(けんじさん)の目の前でアカペラコンサートです!!いつものようにコンサートをしました。
(旅館ではありますがけんじさんのおられるお部屋でやりました))
ご両親も泣いておられました・・・・けんじさんは、俳優さんで言うと、杉浦太陽さんそっくりでした。確か30代だったと思います。
お子さんがお二人いて・・・しかし、後遺症で目だけが動くようでした。言葉は出ませんが、その目でいっぱいの思いを伝えてくださいました。
色々とお話していましたら夕方6時になっていて・・・・・とても感動しました・・・けんじさん!いつもここ宮崎からお祈りしていますね・・・いつも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すみません。今日はここまでとしますね・・・疲れました・・・・ふうう・・
5月27日・・・・・・
S旅館でのアカペラコンサートを終えて、大船渡へ直行しました。
宮崎から車で到着したばかりの友人とライフワード(テキサスのダラスより)の方々との夕食会の予定が入っておりましたので。
ここの仮設には、同じアメリカのテキサスのダラスからお越しの英語教師をなさっている若いご夫妻がこの震災を経てもなお住んでおられるというので、
お引合せをしたんでした。
さあ・・・22日陸前高田市を去る日になりました。
朝一番に、なるいし整骨院にいき治療を受けました。
そして、モビリアの仮設住宅にもう一度行きたくて車をじゃんじゃん走らせましたが・・・道がわからず断念・・・。
そう・・・・この6日間何度も通ったがれきの辺り・・・・・一人だったのですが・・・・そこに行きました。
津波は海岸から高田高校までの市街地を飲み込んで、校舎3階まで水没、体育館も流失しました。
職員と生徒は学校の裏手の高台にある第二グランドに避難したのですが、そのすぐ下まで津波が押し寄せ、
体育館の屋根がグランド下に流れてきたそうです。
海に近い海洋センターのプールで練習していた水泳部は、津波に襲われて逃げる途中6人が亡くなり、部員1人と救助に向かった顧問1人は未だに行方不明です。
< 被災後の岩手県立高田高校 edu.iwate-u.ac.jp >
きりんは、このお写真(ネットに掲載されていたもの)と同じ場所に行った時でした。
このがれきをよくよく見てみると・・・ごめんなさい・・・やはりかけません・・・・
胸が痛むのです・・・全身が重く感じてくるのです・・・悲しみのかたまりがきりんにくるような気がするんです・・・・
きりんは、この日の午前10時頃からやく2時間近くこのがれきの中に佇み祈りました。
どんなに悲しく、辛く、無念だったことか・・・・・・・・・・
上記の高田高校でお写真を3枚とった時でした・・・・きりんは、ごめんごめん・・・写真撮ったりなんかして・・・って独り言言いながら車の中に走ったのでした。
すぐさま、削除しました。
がれきは・・・たくさんの思いを抱えているように感じました。
向こうに、貸切バスでこられた視察の集団が喪服を着て祈ってらっしゃいました。
あっちにぽつん、こっちにぽつんときりんのようにひとりで呆然としながら立ちすくす人々がいました。
S婦人にお車をお返しして・・・・一の関まで送っていただき、夕方6時半出発東京行きの新幹線に乗りました。
東京についても、きりんのこのひどく重い悲しみは続きました。
朝・・・・・・・・・コンビニに行き、おにぎりとサラダを買って・・・またベッドに潜り寝ました・・・・・・
どうしても涙が止まらないのです・・・・・・
それで、近くに見えた教会の礼拝堂に(一度も入ったことのない教会)走りこみました。
静かな静かな礼拝堂でした。
声を出しては行けない場所だっていうことは分かりましたから・・・・・精一杯声をださぬようにして・・・・号泣し続けました。
なぜあんなに泣いたのか・・・自分でもわかりません。
ただ、その礼拝堂を出てからは、この今まであんな号泣することは一度もありません。
多くの人々の悲しみや嘆き・・・・・人間の心は本当に土の器のごとくもろいのではないだろうかと感じました。
壊れた、いや壊れかけた霊や心はどのようにしたら癒されるというのでしょう・・・・・・・・
私たちにできることってあるのかしら・・・・と考え続けています。
この6日間に出会った方々のお顔が、姿がいつもいつも目に浮かびます。
切なさだけがこみ上げてきます。
自分の思い上がりだけが自分の心に突き刺さります。
被災地の方々を上から目線で眺めたつもりは毛頭ないのですが・・・・結局はそうだったのかもしれないと・・・一人になると怯えてしまいます。
そういう意味で、きりんはこれから先、この陸前高田市のことを思わない日は無いと思えます。
許されるとしたら・・・・想い続けることで寄り添うことをさせていただきたいと願っています。
正直まだまだショックの中にいます。
無力さを知ります・・・・・知っていたはずなのですが・・・しらなかったとしか言えない気がします。
・・・・・・・・・・・・・
今後のスケジュールにつきましては・・・一度白紙に戻しました。
心が落ち着きましたら再度きりんの村の皆様とお話し合いしながら決めていきたいと思っています。
この度のきりんの活動に際しまして多額の応援金・・約12万円が寄せられました。心から感謝申し上げます。
きりん自身の交通費、宿泊費はすべて自前として、この12万円は、そっくり陸前高田市の方に使わさせていただきました。その12万円の使い道ですが、その内訳は、
陸前高田市の音響さんへお礼とカンパ合わせて8万円、肉巻き等の送料、コンサート時のお弁当代ほか雑費に4万円です。
本当にありがとうございました。みなさんがとても喜んで喜んで肉巻きおにぎりや鳥のやわらか煮やコーヒー等を持って帰ってくださいました。
きりんは・・・このお土産持参なしにはいけなかったのです・・・・・。
なぜなら、私の音楽(コンサート)で、人々の心を癒すとか励ますとか・・・そんな力は自分にはないってわかっていたからです。
ですから、これからもこのような食べ物は、自分の無理しない範囲で陸前高田市へ送らせていただくつもりでおります。
今言える自分の生き方はこれくらいかなって思っています。
きっと皆様は、そんなことないよって優しく仰ってくださるんだろうって思います。ありがとう・・。でも
思い上がりたくないんです・・・・・この年齢になりましてもまだまだ未熟で・・・・・・・
以上、この度のご報告を終わらせていただきます。
現在も、貴重なご意見等いただいております。
いくつかの報告会で色々とお話させていただく予定ですので、皆様からの厳しいご意見等、謙虚にお聞きしたいと思っております。
どうぞよろしくお話くださいませ。
きりん
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